いつまでも色あせない偉業 ちょうど15年前から始まった金本知憲氏の鉄人伝説
連続フルイニング出場の世界記録開始から15年
15年前の1999年7月21日。1つの大記録への挑戦がスタートした。
広島時代の金本知憲外野手が阪神移籍後の2010年4月17日まで1492試合連続でフルイニング全試合出場の日本記録を樹立した。連続で試合に出場していただけではない。全イニング(試合開始から試合終了まで)である。パ・リーグの記録がロッテ・愛甲猛の535試合ということを見れば、金本のすごさはわかるだろう。だからこそ、鉄人と呼ばれた。
何度も途切れそうな時はあった。広島時代の2000年8月の巨人戦で頭に死球をくらった。頭部は危険だ。1度ベンチに下がって、様子を見るかと思いきや、交代したくないという一心から、「5分だけ時間をください」と落ち着き、ゆっくりと立ち上がり、一塁ベースへ歩き出した。
1度だけではない。2005年6月のホークス戦でも頭部に当たり、その場に倒れこんだ。しばしの悶絶があったが、「大丈夫、大丈夫」と周囲に心配をかけさせないように立ち上がった。2008年5月の巨人戦でも140キロの直球が頭部に直撃。ヘルメットが壊れるほどの衝撃だった。この時もすぐに試合に戻り、次の打席、通算399号となるホームランをライナーでかっとばした。
連続フルイニング出場の日本プロ野球新記録の701試合が目前に迫った2004年7月29日の中日戦。岩瀬から左手首に死球を浴びた。場内は騒然としたが、金本は出続けた。検査結果は打撲とされた。しかし、実際は左手首軟骨剥離骨折だったという。次の試合の甲子園での巨人戦では片手一本でヒットを打つ姿にファンの心はしびれた。そして2004年の8月1日に701試合の新記録を樹立したのだった。
「自分ひとりでできたわけではない。周りの人たちに感謝したい」
2006年4月にはメジャーの鉄人カル・リプケンを抜き、904試合連続フルイニング出場を達成して、世界一の鉄人となった。金本は下半身が動く限り試合に出続けることを心に決めて、体を鍛え続けた。努力のたまものだった。そして、2010年4月18日の横浜戦。ついにスタメンから外れ、1492試合でストップしたのだった。
この年のオープン戦の時期に選手同士でぶつかって痛めた右肩痛がスタメン落ちの大きな理由となった。
4月17日の試合でレフトを守った金本は8回ツーアウト2塁、レフト前ヒットの打球を処理し、投げようとしたが、カットマンにすら届かなかった。これまで4番としてチームから自分が欠けることが何を意味するかを考え、プレーしてきた。しかし、この時は自分がいてはチームに迷惑がかかると判断。当時の真弓明信監督に自ら告げたという。真弓監督もスタメン交換の「5分前に(オーダーを)書き直した」と苦渋の決断だったことを明かしている。
金本が連続試合出場の大切さを考えたのは当時中日の星野仙一監督が「一番ありがたい選手は休まない選手」と言っていたのを聞いたからだった。その瞬間、強い選手になろうと決め、自分がやるべきことを貫いてきた。
頭にボールを受けても、膝が悲鳴を上げても、右肩が痛くても、弱音をはかずプレーし続け、好結果を残してきた。ちょうど15年前の7月21日から金本が築き上げてきた世界記録はいつまでも色あせることはない。
【了】
フルカウント編集部●文 text by Full-Count