中日・大島は史上8例目の年俸調停で決着も “落合流”更改交渉は健全か否か

日本人選手で初めて年俸調停を申請した落合GM

 適正な年俸がいくらなのかという議論は避けるとして、決着の道は年俸調停しかないだろう。保留者ゼロだった昨年の契約更改でも、選手側は抵抗を試みなかった訳ではない。だが、落合GMは「適正だと判断した金額を提示している」と突っぱね、チームが12年ぶりのBクラスに沈んだこともあり、全員が“全面降伏”。今回も2度目の交渉に落合GMが同席しなかった事実から読み取れるように、球団が提示額を変えることはないと言って間違いない。

 ただ、選手は「やった者は報われる」というGMの言葉を信じ、今季を戦ってきた。Bクラスから抜け出せなかった責任があるとはいえ、2年連続の厳冬更改は受け入れがたい現実だろう。

 米大リーグでは毎年、多くの選手が年俸調停を申請しているが、日本ではレアケースであり、決してイメージの良いものではない。1991年、日本人選手で初めて年俸調停を申請したのが、当時中日でプレーしていた落合GMだった。提示額に納得できなければ、判断を第三者に委ねればいいというGMとしての頑なな姿勢は、制度が形骸化していることに一石を投じる意味もあるのではないかと考えるのは、穿った見方だろうか。

 現在の中日は契約更改の席が“交渉”の場ではなくなっている。これが異常なのか、これまでが健全ではなかったのかは改めて考える必要があるだろう。いずれにせよ、選手会長も務める大島には主張を貫き、調停の場まで戦い続けて欲しい。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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