【小島啓民の目】プロ選手になるには? 「技術」とともに求められる「心」の成長

「管理」から解放された瞬間に厳しい現実が突き付けられる

 毎日のノルマのランニング、トレーニングも黙々とこなし、更にノルマ以上の練習も自分自身に課していました。その姿はとても19歳には見えませんでした。監督として杉内選手に戦術の指示はしますが、練習に対しての注文をつけたことは一度もなかったように思います。

「よく育てたられましたね」と色々な方にお褒めの言葉をかけられますが、勝手に育ったというのが私の正直な感想です。杉内選手の育った環境は、母子家庭ということもあり、恵まれていたというものではなかっと記憶しています。それ故に家族間の絆は強かったようです。「将来、プロ野球に進んで育ててくれた家族に恩返しするんだ」という強い信念がそのような自覚を生み、徹底した自己管理を実現したのでしょう。

 プロ野球選手として身体的に際立ったものを持ち合わせていなかった選手が、球界を代表する立派な投手になったのは、自己をコントロールできる強いメンタルを持ち合わせているからこそと私は分析しています。

 しかし、杉内選手のような強い人間はそうそういません。普通の人間は弱い部分が多く、様々な誘惑に目が眩んでしまいます。昨日立てた計画が今日にはもう実行されないことなどは一般的であり、誰でもこのような経験をしているはずです。自主性や自己管理、一見聞こえはいいですが、これほど難しいものはありません。

「管理されている方がどれだけ楽なものか」ということは、やらされる練習をしている期間は決して気づきません。しかし、そこから解放された瞬間に逆に厳しい現実が突きつけられることになります。

 自分自身を厳しくコントロールすることは、並はずれた意志の強さがない限り、難しいものです。かなり強いモチベーションがないと長期にわたっての自己管理は続きません。だからこそ選手は、簡単に「自主性のある練習」とか「自分で管理したい」などと口に出してはいけないと思います。しかし、それが本当にできた時、プロでも通用する、大きく成長できる選手になるでしょう。野球は技術だけでなく、その心も磨いていかなければならないのです。

【了】

小島啓民●文  text by HIROTAMI KOJIMA

小島啓民 プロフィール

1964年3月3日生まれ。長崎県出身。長崎県立諫早高で三塁手として甲子園に出場。早大に進学し、社会人野球の名門・三菱重工長崎でプレー。1991年、都市対抗野球では4番打者として準優勝に貢献し、久慈賞受賞、社会人野球ベストナインに。1992年バルセロナ五輪に出場し、銅メダルを獲得。1995年~2000年まで三菱重工長崎で監督。1999年の都市対抗野球では準優勝。日本代表チームのコーチも歴任。2000年から1年間、JOC在外研修員としてサンディエゴパドレス1Aコーチとして、コーチングを学ぶ。2010年広州アジア大会では監督で銅メダル、2013年東アジア大会では金メダル。侍ジャパンの台湾遠征時もバルセロナ五輪でチームメートだった小久保監督をヘッドコーチとして支えた。2014年韓国で開催されたアジア大会でも2大会連続で銅メダル。プロ・アマ混成の第1回21Uワールドカップでも侍ジャパンのヘッドコーチで準優勝。公式ブログ「BASEBALL PLUS(http://baseballplus.blogspot.jp/)」も野球関係者の間では人気となっている。

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