日本人内野手がメジャーで生き残るには 井口資仁が語る適応の秘訣
なぜ井口はメジャーに適応できたのか
正二塁手として135試合に出場し、ワールドシリーズ優勝に大きく貢献。今年は世界一から10周年ということもあり、1月下旬にシカゴで開催されたファンイベントには当時の優勝メンバーが招待された。もちろん井口もその1人。日本のキャンプイン直前ということもあり、2泊3日の強行スケジュールでの参加だったがファンの熱い歓迎を受けた。優勝メンバーによるトークショーでは、質疑応答コーナーに立ったファンが「遠いところをシカゴまで来てくれてありがとう。ファンを代表して感謝します」と言うと、満員の会場は大きな拍手で包まれた。
今でもシカゴのファンに愛される井口だが、「日本人内野手で数少ない成功した人物……」と話を向けられると「いえ、僕も成功していません」と否定しながら、こう続けた。
「ただ(メジャーに)来るための準備は3年くらい掛けてしたし、セカンドを本業としてきたから(その点は大きい)。他の選手はショートからセカンドに転向した即席。僕は万全にしてきてアレだった。やっぱり甘くないってことだと思いますよ」
3年を掛けた準備とは、具体的にはどんなものだったのだろう。打撃と守備それぞれにおける内容を教えてくれた。
まず打撃では「ポイントを近くしてボールをよく見られるようにした」という。ボールを懐まで長く呼び込んで、バットで捉えるポイントをできる限り体の近くにおく。ポイントが近くなることで「少々詰まっても体幹で打ち返す。詰まっても負けないスイングに変えました」と話す。この準備のヒントを得たのは、一足先にメジャー移籍を果たした同級生の打撃だった。
「松井秀喜をはじめ、ツーシーム(動く球)に苦戦しているのを見ていたから」
さらに、国際大会の出場経験からも、ストライクゾーンが外角に広いことを感じていたため、「アウトコースの球を強くライトに打ち返す練習」を重ねたそうだ。こうした準備が、クリーンナップを打っていた日本ではなじみの薄い2番打者を任され、進塁打などチームのために犠牲になる打撃をすることになった時にも大きく生きたようだ。