巨人のGMはなぜ難しいのか GM交代の背景と今後に立ちはだかる課題とは

“サラリーマンGM”という足枷が消えないのは気になるところだが……

 実は清武GM時代にも現場の要求とチーム作りの方針がぶつかったケースがあった。

 リーグ4連覇を逃した2010年のオフ、横浜(現DeNA)・村田修一内野手の獲得を巡っての問題だった。

 阿部慎之助捕手頼りだった打線に、もう1本、柱となる長距離砲の必要性を感じ村田の獲得を求めた原監督に対して、チームカラーに合わないことや得点圏打率が低いことなどを理由に清武GMはこれを拒否。三塁のポジションにはラスティ・ライアル内野手を獲得することで穴埋めを図った。

 しかし、シーズンに入るとライアルが全く機能できずにチームは2年連続の3位と優勝を逃すことになる。オフにはV逸の責任問題を巡るコーチ人事で清武GMが、いわゆる“清武の乱”を起こして退団する騒動に発展したのは記憶に新しい。

 清武元代表が球団を去った11年オフにチームは改めて村田を獲得。それが翌12年からのリーグ3連覇への道を開いたという経緯があるのだ。

 確かにGM主導のチーム編成は5年先、10年先のチーム作りという点では理想である。ただ、常に優勝を求められ、その責任を監督が一身に背負わなければならない巨人の土壌では、現場の要求をいかに実現するかもまた、GMの大きな仕事になるのである。

 “清武の乱”という突発事件で、急遽、後任に就任した原沢前GMは球団広報など球団業務には精通していたが、元々は野球畑とは無縁で球界人脈もなかった。そういう意味では編成業務の難しさをクローズアップすることになり、結果的に補強は原監督の人脈に頼ることにならざるを得なかった。いわば緊急避難的な行為として監督自らが補強に動いたわけである。

 新たに就任した堤GMはプロ野球の経験こそないが、慶大野球部で主将を務めアマ球界には人脈もある。読売新聞社から巨人軍に出向していたときには、GM補佐として編成業務に携わっていた。親会社の読売新聞社としてはエース的な存在を投入したわけだ。そこにはGMの職制を明確化するという意図が見えるが、同時に親会社の“サラリーマンGM”という足枷が消えないのは少し気になるところだ。ただ、そうした人脈や経験を生かして、堤新GMがいかに現場の要求を実現しながら、チームの将来像を描いていけるのか。

 それがメジャー流でもない巨人的なGMに求められる仕事であることは、間違いない。

【了】

鷲田康●文 text by Yasushi Washida

鷲田康 プロフィール

19741014
1957年、埼玉県生まれ。慶応義塾大学卒業後、報知新聞社に入社。91年オフから巨人担当キャップとして長嶋監督誕生、松井秀喜選手の入団などを取材。その後、プロ野球遊軍などで約10年間、巨人を中心に野球取材を担当した。2003年に同社を退社。フリーのスポーツジャーナリストとして日米のプロ野球やアテネ、北京両五輪、WBCなど日本代表チームを取材、執筆活動を続けている。現在は週刊文春で「野球の言葉学」、ナンバーウエブ「プロ野球亭日乗」、サンケイスポーツ(東京版)「球界インサイドリポート」などを連載。主な著書に「長嶋茂雄最後の日」「10・8 巨人VS中日 史上最高の決戦」「ホームラン術」「WBC戦記(共著)」(いずれも文藝春秋社)「松井秀喜の言葉」(廣済堂出版社)などがある。

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