【小島啓民の目】校舎に向かってバッティング 公立だって甲子園にいける、創意工夫の大切さ
創意工夫を好む日本の指導者、“日本式練習”の原点は?
アメリカの事例などを見ると、日本の高校野球が専用グラウンドを持っていることは、さほど可笑しな話ではないことになります。むしろ、「グラウンドもないのに野球をやっているの?」とアメリカの人から指摘をされそうですね。
ただ、元来、日本の指導者は創意工夫という言葉が大好きです。
これは、専用グラウンドもなく、限られた時間の中で練習を行なう必要に迫られている中、指導者は知恵を出して、少しでも環境面で劣っている部分を埋めて来たという文化の表れでしょう。
アメリカの練習方法は、ほぼ画一化されています。マニュアルの整備もされていますし、どこのチームを見学しても、また、行なっている練習ドリルを見ても同じような内容です。
日本で見るような、2、3か所でバッティングをする打撃練習の光景などは見られませんし(バッティング練習は常に1か所で打つ)、バッティングを行なっているケージの横で守備練習をしているケースなどは見たことがないです。
「効率的に時間を使う」とか、「練習量を追う」というような感覚はアメリカ野球にはないのでしょう。逆に日本文化には、「体格で劣る分、練習の質と量でカバーをする」というような哲学も出来上がっています。日本の野球の練習時間が相対的に長いのも、このあたりなのでしょうね。
日本の野球の練習には、「特打」、「特守」という練習項目があります。簡単に言えば、「打撃」「守備」を個別で徹底的にやる時間を作るということですが、アメリカ野球ではそのような光景は見たことがありません。強いて事例を挙げれば、「アーリーワーク」というものでしょうか。
このように「練習量は、嘘つかない」という日本独特の思想が、独自の練習アイテムを作り上げていると思います。
とすると、批判的に聞こえるかもしれませんが、私個人的には、日本の野球の練習は世界一だと思っています。これほど、効率良く練習を行なう国は、まず現れないでしょう。
その考えの原点を形成しているのが、校庭で行なう高校野球文化にあると思います。