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引退3年目、辻内崇伸の今 いまだボロボロの左肩、それでも「後悔ない」

2005年夏――。甲子園に現れた150キロを超える剛速球を投げ込む怪物左腕に、多くの野球ファンが夢を見た。あれから11年。その男は今、もう満足にキャッチボールすることすらかなわない。ガラクタになった左肩をさすりながら、こう苦笑いした。

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「たまに夢に出る」全力投球する姿―怪物左腕が語る現在地

 2005年夏――。甲子園に現れた150キロを超える剛速球を投げ込む怪物左腕に、多くの野球ファンが夢を見た。あれから11年。その男は今、もう満足にキャッチボールすることすらかなわない。ガラクタになった左肩をさすりながら、こう苦笑いした。

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「たまに夢に出るんですよ。自分が思いっきり投げている夢を。でもすぐに現実に戻るんですけどね。今はマウンドからベースまで届くか届かないかのレベル。しかも山なりですよ。何なんですかね、この肩。本当はちょっとでも草野球ができるぐらいのレベルにはなって欲しいなとは思うんですけどね。でも甲子園の映像を見ても、あのときはいっぱい投げていたなと思うぐらいです。後悔はないです」

 辻内崇伸。大阪桐蔭高校3年生の時に出場した夏の甲子園。初戦の春日部共栄(埼玉)戦で、プロアマ通じ国内左腕では最速となる156キロを記録した。準決勝で駒大苫小牧(南北海道)に敗れたが、日本中の注目の的になった。その年のドラフト会議では、オリックスとの抽選の末、巨人が交渉権を獲得。ドラフト1位で、期待の新星として入団した。

 だがここからはケガとの闘いだった。2年目の07年に左肘内側側副靱帯の再建手術を行ったのを皮切りに、左肩痛に悩まされるなど、復帰しては離脱の繰り返し。背番号も15から39、そして98へと次第に大きくなっていった。最も1軍のマウンドに近づいたのは12年。8月16日の中日戦(ナゴヤドーム)から、プロ7年目で初めて1軍に昇格した。

「上がったときにいきなり新聞の1面でバンって取り上げられて。内海さんに『何でお前は1軍に上がるだけで1面になんねん』ってからかわれました」

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