遠回りから得た成功ーー“努力の人”千葉ロッテ・角中の原点
野球に明け暮れた少年時代「野球以外の思い出はほとんどありません」
県知事との懇談の場で、息子をプロ野球選手にさせようと野球を教え込んだことで有名な父の稔さんは、昔を懐かしそうに、そして誇らしげに振り返った。
「自分も昔は野球をかじっていましたけれど、何が嫌いって『努力』という言葉が一番嫌いだった。なんで『努力』などしなければいけないのかと」
そこまで、まくしたてるように話をすると一呼吸を置いた。そして続けた。
「当然、駄目になりました。だから、自分の子どもには『努力』をさせなければいけないと、強く思いました。その1人が、勝也です」
親子二人は、ひたすら野球に打ち込んだ。だから、県知事に「当時の想い出の写真はなにかありますか?」と問われると、親子で困惑し苦笑いを浮かべ、首を横に振った。
「何もありませんね。そんな暇があれば練習をしろと言われたので。野球以外の思い出はほとんどありません。家族旅行に行った思い出もないですし。もちろん、そういった類の写真もありません。練習をしたことが体に染み込んでいる思い出なのでしょうか」
角中はそう言って笑うしかなかった。しかし、それこそが彼の原点であり、今もなお続く習慣だ。
ホームゲーム。全体練習での打撃練習を終えると、今度はミーティングまでの時間を利用して室内練習場にこもり、マシン相手に打ち込みを行い調整する。ビジターゲーム。チームが宿舎を出発する1時間ほど前に球場入りをしてスイングルームでバットを振る。それが彼の見えぬ努力。ネットでは『変態打法』と称賛され、どんな球、悪球さえもヒットにしてしまうそのバットコントロールを評するが、それは才能、センスだけで成り立っているものでは決してない。あくまでその土台は努力。人よりもバットを振り、調整をしている見えぬ作業の積み重ねから生み出されている。