中日・小笠原2軍監督が明かす、指導者としての強みと日の丸を背負った意味
プロ入りへのルートも増、「諦めずに頑張って欲しい」
社会人チームの数も大幅に少なくなったが、代わりに独立リーグができたことでプロ入りへの手段が増えた。小笠原2軍監督はそのことにも言及し、プロを目指す選手へエールを送る。
「そこでチャンスを掴めばプロに入れる。手段は1つではないですね。ドラフトを通らなければいけないところは変わりませんが、高校、大学、社会人だけではなくなった。諦めずに頑張って欲しいと思います」
自身は高校、社会人、日本ハム、巨人、中日、日本代表といくつものチームを経験。采配を振るう上で、さまざまな監督の指導法が参考になっているという。
「監督ごとにオリジナリティがあり、みんな素晴らしい方でした。いろいろなパターンの監督と接して来られました。状況に応じて、その方たちから学んだ、さまざまな引き出しを利用できます。たくさんチームを渡って、いろいろな野球を勉強できた。たくさんの監督と接したことで、勉強になりました」
2004年のアテネ五輪、2006年、2009年の第1回、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、日本代表として日の丸を背負った。
「日本代表はいい経験でした。プロは最初から『チーム』と言っても、ピンと来ないところがあります。余裕がなく自分の成績だけになってしまい、みんなで同じ方向を向いてやるということがなかなかありません。アテネ五輪が初めての代表でしたが、インパクトが強く、この時の経験は大きかったですね」
侍ジャパンが4強で敗退した第4回WBCに出場した岡田俊哉投手、平田良介外野手には「チームに帰ってきたらいい影響を与えてくれれば」と期待する。
「他の選手も、チャンスがあるなら目指してもらいたいですね。現状で満足せず、高いレベルを求めて欲しい。そういう気持ちでいれば、所属しているチームにもプラスになります。いろいろなことに興味を持って、チャレンジして欲しいと思います」