「強打」の上を行く「恐怖」の2番打者!? 日本球界でもトレンドになるか

小笠原は「強打の2番打者」の代表格

 2010年代に入るとあまり見られなくなっていた「強打の2番打者」は、2015年に東京ヤクルトがほとんど送りバントをしない川端を2番に置いた強力打線を組み、リーグ優勝を果たしたことで再び脚光を浴びた。打高投低の傾向にあった2000年代を振り返ると、打力を売りとする打者がより多く2番打者を務めていることが分かる。

 そして、これらの中に入り混じっても今季のペゲーロが稀有であるのは、バントをしないだけではなく、その存在が冒頭で述べたような長打力を備える「恐怖の2番打者」へ昇華されようとしているからだ。つなぎの役割を求められる2番を任されながら30本塁打以上を記録したのは、この17年間で2006年のリグスのみ。ペゲーロが現在の調子を維持できれば、そこに肩を並べることも可能だろう。

 それ以前に打力に重きを置く2番打者として注目を集めたのは、川端と同じくチームのリーグ優勝に貢献した2008年の栗山だ。ただし、この年の栗山はリーグ最多の167安打を放ち、打率.315をマークしていた点では攻撃型だと言えるが、同時に22犠打も記録していた。翌2009年は打率.272で長打率も落ちたが、犠打が8個に減ったことで「強打の2番打者」のニュアンスはより強くなっている。

 さらに遡ったところにいる谷も、巨人移籍1年目から2番に定着して172本の安打を量産した。キャリア最多となるシーズン20犠打を決めてはいるが、二塁打を31本放ちながら、595打席でわずか48三振にとどめたところに2番打者としての価値がある。高橋由伸外野手と形成した硬軟コントラストの1、2番は近年まれに見るテーブルセッターコンビだった。

 大物選手の補強が多いだけに、2番にも強打者を据える機会が増えるのも巨人の特色だ。逆方向へのバッティングを持ち味とした右打者の二岡と、引っ張った打球が痛烈だった左打者の清水は、その打球方向とともに重量打線の破壊力を高めた点で一致していた。通算打率が.280台と確かな打撃技術を持ちながら、二岡はキャリアで20本塁打超えが4度、清水は2桁本塁打到達が8度と一定の長打力も備えていたのも共通している。

 打順こそ7番が多かったが、二岡は2000年にチームのリーグ優勝を決めるサヨナラ本塁打を放ち“ミレニアム打線”の球史に残る大逆転劇を完結させた。その当時、送りバントを命じられることもあった清水は、実績を重ねた2002年以降に犠打の数が減り、2004年には“史上最強打線”の中でリーグ最多の39二塁打を放つなど存在感を示している。

 同じく東京ドームを主戦場とした小笠原はフルスイングが身上で「強打の2番打者」の代表格と言える。2000年にはリーグ最多の182安打を放ちながら74四球も選び、出塁後も24盗塁を記録して126得点でもリーグ最多と“ビッグバン打線”の要として機能。この年のみならず日本ハム(北海道日本ハム含む)在籍10年間に犠打はゼロで、通算でもわずか2本だった。

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