育成出身が多数活躍、ホークスはなぜ選手が育つのか? 選手の言葉から検証

育成出身の千賀「成長できたのは、常に上の人を見ることができたから」

 2010年の育成ドラフト4巡目で、愛知県立蒲郡高校からプロの門を叩いた千賀。今春のWBCで侍ジャパン唯一の大会ベストナインに輝いた右腕は、自身がこれほどまでに成長した要因を、こう語った。

「成長できたのは、常に上の人を見ることができたことだと思います。それは、このチームだったからこそだと思うんですけど、凄い人がたくさんいた。僕がプロに入った時は和田さん、杉内さん、馬原さんがいて、摂津さんも先発するようになっていた。本当に凄い人がたくさんいた。ああ、こういうクラスにならないと、1軍で出られないんだって思いましたし、どんどん上を見ることができました。1軍で試合に出たら出たで、パ・リーグで戦う各球団の1軍の投手のことを凄いな、凄いなと思って。ああいう風になりたいと思って練習出来ますし、そういう環境だったと思いますね」

 千賀と同級生で同期入団、育成ドラフト6巡目で大分県の楊志館高校からソフトバンクに入団した甲斐も、右腕の意見に同調する。

「千賀の考えは確かにそうだと思います。先輩たちの姿を見て、これじゃ勝てないな、もっと力つけないと勝てないと思いました。あとは、僕の場合は、コイツには負けたくないという気持ちが強かったですね。(その年のドラフト1位だった捕手の)山下(斐紹)に。もちろん今もそうですし、まだ勝ったとも思っていないですけど、その分悔しい思いもしてきたし、なんとかコイツには勝ちたいと思っていました」

 そして、甲斐はこうも続けた。

「ましてや背番号は3桁だったし、2桁の選手に負けたくないという気持ちは強かったですね。全然違います。僕ら3桁ですよ。野球選手じゃないようなもの。『お前らはプロ野球選手じゃない』ってコーチとかにも言われていましたから。『ホークスのユニホームを着ているだけだ』と。のし上がってやろう、2桁に負けないでやろう。3軍でもアピールしてやっていこうと。何が出来るか、常に考えていましたね」

 お手本となるべき球界を代表する選手がいたこと、支配下選手に負けたくないというハングリー精神、そして、上の世界を目指す向上心を持てたこと、これが2人に共通することだという。

 ただ、それは他球団にも言えることである。育成選手は他球団にもいるし、お手本となるべきトップ選手もいる。それは、ソフトバンクに限ったことではない。

 他球団との違いとして、甲斐が指摘したのは「3軍」の存在だ。

3軍だけで年間70~80試合を実施、支配下ルーキーや育成選手が実戦を重ねる場

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