上原浩治を支える通訳の思い「私は恵まれてる」「彼が行く場所ならどこでも」

レッドソックス時代の上原浩治と松本重誠氏(左)【写真:田口有史】
レッドソックス時代の上原浩治と松本重誠氏(左)【写真:田口有史】

上原浩治の通訳・松本氏に地元紙がスポットライト「彼が行く場所ならどこでも…」

 体調不良で9月2日(日本時間3日)のブレーブス戦を最後に公式戦のマウンドから遠ざかっているカブスの上原浩治投手。自身のブログでは、今月20日に「下半身の腫れや痛みは引いたのに、今度は腰付近、脇腹付近……(涙) もう、一体どうなってんねん俺の身体」と苦しい胸を内を明かし、「どうにかして、プレーオフのどこかで試合に投げれるようにしたいけど…」と綴っていた。

 そして、「まだ前向きになるには時間がかかりそうだけど、いまやれることをやる。自分のために動いてくれてる人がいるんだし、そういう人に感謝しないと」とも記したが、上原をまさに間近で支え続けているのが、松本重誠氏だ。レッドソックス時代からベテラン右腕の通訳を務めている同氏に、地元紙「シカゴ・トリビューン」がスポットライトをあてている。

 レッドソックス時代には、上原と田澤の通訳を務めていた松本氏。記事では、2人の右腕と出会うまでの経緯について、記している。

 松本氏はオーストラリア在住時に英語を学び、帰国後はNPBで助っ人選手の通訳を務めることを目標にしていたという。ただ、その目標は叶わずに渡米。ジャーナリズムなどを学んだ後、スポーツ記事執筆の仕事にも就いたが、いったん日本に帰国した。それでも、斎藤隆氏が2012年にダイヤモンドバックスに入団した際、通訳を務めることになって再び渡米。負傷などで16試合の登板にとどまった斎藤氏がこの年限りで日本に帰国したため、今度は松本氏にレッドソックスからの打診が届いたという。

「レッドソックスから打診があった際、マツモトは日本に戻るべきか分からなかった。ダイスケ・マツザカと彼の通訳は球団を去っていくところだった。しかし球団にはまだ、ジュンイチ・タザワとウエハラがいた。それ以降、彼はウエハラのもとを去っていない」

「私の夢は通訳になることでした」

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