村田修一から継承、岡本和真が背負う巨人の背番号「25」とは
来季巨人の31代目背番号「25」に、“勝負の年”に挑む岡本
巨人の岡本和真が来季から背番号を「38」から「25」に変えることとなった。一般的に、若い背番号を与えられることは、首脳陣の期待感が上がったことを意味している。来季は岡本には勝負の年になりそうだ。
巨人の「25」は、1軍の試合に出ていない選手も含めれば過去30人。岡本は31代目になる。巨人代々の背番号「25」を振り返ろう。
〇戦前から1950年代まで
井上康弘 内 1937年秋-1939年72試29安0本14点4盗 打率.216
平山菊二 外 1946年-1949年693試648安38本311点106盗 打率.265
吉江英四郎 投 1950年14試3勝4敗 防御率3.45
岡部宏 投 1951年(出場なし)
兼吉寛 投 1951年-1952年12試0勝0敗 防御率3.86
西田亨 投 1952年-1953年21試3勝1敗 防御率3.20
杉本定介 投 1953年(出場なし)
岡部宏 投 1953年(出場なし)
辻村隆 投 1953年(出場なし)
笠原正行 投 1953年-1955年38試10勝4敗 防御率3.56
高橋正勝 投 1956年(出場なし)
土屋正孝 内 1956年-1960年585試423安30本161点99盗 打率.235
巨人の初代「25」は、井上康弘。熊本商出身、161センチと小柄な内野手だった。戦前は井上だけ。2代目は平山菊二。「塀際の魔術師」と言われた名外野手。のち大洋に移籍。スカウトとしても長く活躍した。
以下、1956年までは投手が「25」をつけた。西田はハワイ出身の日系人。のち東映に移籍。1953年は西田のあと4人もの投手が「25」をつけた。この時期の巨人は、2リーグ分立に伴い、選手不足に悩んでいたためシーズン中も多くの選手を入団させていた。登録の過程で背番号が目まぐるしく変わったのだ。1956年に「25」をつけた土屋正孝は長野県・松本深志高校出身。長嶋茂雄の前の巨人の正三塁手だ。のち、国鉄に移籍した。