星野氏の訃報、台湾でもトップニュースに 郭源治氏「野球人生の恩師」

星野仙一氏と中日ドラゴンズOBの郭源治氏【写真:Getty Images】
星野仙一氏と中日ドラゴンズOBの郭源治氏【写真:Getty Images】

台湾でも速報、元中日の郭源治氏「星野さんは野球人生の恩師」

 今月4日に元楽天監督で取締役副会長を務めていた星野仙一氏が膵臓がんで死去したことが6日、発表された。突然の訃報に驚きと悲しみが広がる中、台湾でもトップニュースとなり、中日時代に指導を受けた郭源治氏がコメントを寄せた。 

 星野氏の訃報は日本だけではなく、台湾でも大きく報じられており、複数のメディアが伝えた。その中で郭源治氏は台湾メディア「ETtoday運動雲」の取材に対し、「星野さんは僕にとても大きな影響を与えてくれた方。まさしく野球人生の恩師です」とコメントを残した。 

 郭氏は1981年に中日に入団。当時、星野氏はまだ現役だったが、87年に監督に就任すると、郭氏は守護神に定着し、2年連続でセーブ王に輝いた。1988年に郭氏の弟が交通事故で亡くなった際に星野氏が「源治、空を見てみろ。弟が見ているぞ」と励ました話は有名だ。その言葉に奮起した郭氏は大車輪の活躍でリーグ優勝の原動力となり、セ・リーグMVPにも選出された。 

 2013年のアジアシリーズで楽天を率いて台湾を訪れた星野氏は持病の腰痛に耐えながら移動していたという。その際、台湾プロ野球の顧問を務めていた郭氏は星野氏の台湾滞在を全面サポート。結果的に楽天は同大会を制することはできなかったが、郭氏は裏で星野氏の最後の国際試合を支えていたという。 

 星野氏の帰国後、台湾ではウインターリーグが開催され、台湾プロ野球選抜の監督となった郭氏は背番号「77」を付けて試合に臨んだ。恩師の背番号を背負って共に戦っていたのだ。 

 生前の星野氏は常に野球界の発展について考え、後輩には野球界に恩返しをするように激励していたという。郭氏はこれからも「闘将」の意志を継いでいく。

(苅田俊秀 / Toshihide Karita)

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