中村紀洋氏インタ(上)フルスイングの“根拠”「ヒットの延長がHRではない」

メジャー移籍寸前で翻意、「あの時の過酷な人生は今の生活にも生きている」

 プロ野球選手が個人事業主であるという考えに沿えば、理想とする環境や条件を求めるのはあるべき姿だ。それにそぐう実績を残したのだから、選択肢も増える。迷いも生まれた。その姿勢や真意が伝わり切らずに、自分本位と報じられることもあった。「日本は人と人ですから。言いたいことを言うと嫌われます。日本人は情が入りますけど、感情が入ると交渉になりません。アメリカはそんな感覚がないので成り立ちます」。

 実力の世界で成り上がった中村氏が、主張しなければ埋もれてしまうアメリカでのプレーを志したのは当然かもしれない。それでも、情の存在自体を「日本の良さ」として否定することはなかった。2002年にFAとなった際、メジャーリーグ挑戦を心に決めたが、最後は当時の梨田昌孝監督の言葉で翻意して大阪近鉄に残留している。

「あの時の過酷な人生は今の生活にも生きているし、感謝しています。今考えればビジネスで動けばよかったと思いますけど。『世の中、金なんかな』と思うこともありますよ。でも、やっぱり日本人だから情じゃないかな。礼には礼で返す。恩を仇で返すなんて絶対に無理ですから。何かしたら何か返すのが日本人。もう、そんな経験はしたくないですけどね」

 野球だけではなく、自らの職業観と真摯に向き合った。それゆえ、当時の葛藤や苦悩の記憶は、今もリアルな感情とともに脳裏へと深く刻み込まれている。

「『これで大丈夫なの?』、『今やったらアウトやな』ということが多々あった(笑)。当時は凄かったですからね。でも、そういう時代もあって楽しかった」

 現在ほどルールの締めつけが厳しくなかった当時を「今なら笑い話、思い出にもできる」と懐かしむが、一筋縄ではいかない時代は熾烈だった。

「今の若い選手がどうかは分からないですけど、僕たちの時代は『上のもんを蹴落としてレギュラーをとれ』。ライバルが風邪を引いたり、怪我をしたら『よしっ』て、皆が言っていました。プロ野球選手だから、ポジションがなかったら何のためにいるのか分からない。『デッドボールを食らえ』とか『フォアボールを出せ』と昔は味方が思っていましたね。今はもう、そんなことはないと思う」

 当時のプロ野球界に豪傑エピソードは事欠かない。コンプライアンスが今ほど強調される時代ではなかったからこその、おおらかさがあった。その間隙で発生する「滅茶苦茶」が、否応なく選手に対応力を身に付けさせた側面もあったはずだ。中村氏は指導を続ける中で、現代の子供に「イメージする力」が不足していることを指摘している。では、イマジネーションはどう養えばいいのだろうか。

「先を読んだらいいと思いますね。先を読めるように、その土台を作ればいい。どうなるのかを先に読んで、そこに向かってイメージした物を追いかける。仮想のものを追いかけても駄目だけど、子供たちならプロ野球選手になるにはどうすればいいかをイメージする」

 達成イメージからの逆算は、打撃で結果を残すための方法論と同じ考え方だ。そこで、重要なのが「かみ砕く作業」となる。

「現役当初から色々な指導者の下でやってきて、様々な指導を受けました。それをそのまま中学生、高校生に教えても分からないと思います。現役時代から指導者に教わったことを簡単な方法にして取り組んでいたからこそ、今も『こうしたら子供たちにも分かりやすい』と考えられる。だから、今は何を聞かれても全部答えられます」

 指導に話題が及ぶと、中村氏の口調は一層熱を増した。

 (後編へ続く)

(「パ・リーグ インサイト」藤原彬)

(記事提供:パ・リーグ インサイト

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