2000安打達成のホークス内川 1800試合目は史上9位、35歳9か月は史上11位タイ

ソフトバンク・内川聖一【写真:藤浦一都】
ソフトバンク・内川聖一【写真:藤浦一都】

記録達成後には2000安打の“先輩”である西武・松井稼頭央、王貞治会長から花束が

 重圧から解放され、笑顔がはじけた。福岡ソフトバンク・内川聖一選手が9日、敵地メットライフドームで行われた西武戦で、史上51人目の2000安打を達成した。王手をかけて迎えた8回1死1塁の第4打席、武隈投手の3球目を中前にはじき返し、これが節目の2000本目の安打となった。

 敵地のファンからも温かい拍手が送られた。一塁ベースに到達後、2000安打の“先輩”松井稼頭央選手、そして福岡ソフトバンク王貞治球団会長から花束を贈られた。自身ちょうど1800試合目での達成は、榎本喜八の1830試合を抜く史上9位の速さ。35歳9か月は福本豊と並ぶ史上11位タイの若さ。平成の安打製造機は、歴代の名選手の中でもハイペースで節目の時を迎えた。

 1999安打を記録してから15打席目。好打者からは想像もつかないスランプが待っていた。「ちょっと打席の中で自分が自分じゃないような、フワフワした感じでした」。大記録のプレッシャーは想像以上だった。

 家族も見守る中、その瞬間は訪れた。父・一寛さんは感極まった表情。試合後のヒーローインタビュー、内川選手は「敵味方関係なく、声援をもらえるのは野球選手冥利に尽きる。僕にとって歴史に残るような日を、同じスタジアムで共有してもらえたのがうれしい」と、ホークスファンだけでなく、祝福の拍手を贈ってくれたライオンズファンにも感謝を述べた。

 大分工業高校から2000年にドラフト1位で横浜に入団。2008年には189安打を放ち、打率.378で首位打者を獲得。2009年にWBC日本代表に選出され、世界一に貢献。ここから、日本を代表する右打者としてブレイクした。

 2010年オフにFA権を行使して福岡ソフトバンクに加入。移籍を決めた最大の理由は「優勝をしたい」という強い思い。その気持ちを結果につなげ、2011年には打率.338で史上2人目のセ・パ両リーグでの首位打者を獲得するとともに、悲願の優勝をつかみ取った。横浜時代から2014年まで7年連続で打率3割超え。この日、またひとつ大記録を手に入れた。

 チームは8回途中無失点の石川投手の好投もあって、首位の埼玉西武に2連勝。前夜が今季初めての無得点での試合となった強力打線を、この日も無得点に封じた。まだ4.5ゲーム差はあるものの、常勝軍団がじわりとその距離を縮めてきた。

 その打線の中心にいるのが内川選手。大記録に喜びを感じつつ、打率.207という現状には満足していない。「ここで打ったことを自信にして、チームメート、監督、コーチ、みんな物足りたいと思っていると思う。今までの分を取り返せるように、これから頑張ります」。偉大な選手の仲間入りを果たした背番号1が、チームにさらなる勢いをもたらす。

【動画】「自分が自分じゃないような」 苦しんで到達した2000安打の金字塔、内川がヒーローインタビューで心境を語る

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