今季は約8.9億円から11万円も… 50年を超えるMLBドラフトの歩み

あのケングリフィーJrでもドラフト指名時の契約金は約1760万円だった【写真:Getty Images】
あのケングリフィーJrでもドラフト指名時の契約金は約1760万円だった【写真:Getty Images】

2018年は1巡目から40巡目まで1214人がドラフト指名

 メジャーのドラフトが6月4日から3日間、行われた。指名を受けたのは1巡目から40巡目まで計1214人。メジャーでの活躍を夢見て、若者たちがプロ生活をスタートする。

 さてここで、メジャーにおけるドラフトの歩みを簡単に振り返ってみたい。第1回が行われたのは1965年であった。ドラフト制はフットボールのNFLが他に先駆けて1936年から実施しており、バスケットボールのNBAもアイスホッケーのNHLもメジャーより前に採用していた。

 狙いは戦力均衡である。ドラフト以前は自由競争で、資金力が豊富なヤンキースに有力選手が集中して、まさに常勝だった。どれほどかというと、1947年から1964年までの18年間でワールドシリーズ出場15度。ケーシー・ステンゲル監督の下で1949年から1953年までワールドシリーズ5連覇を果たしている。ジョー・ディマジオ、ヨギ・ベラ、ミッキー・マントル、ロジャー・マリスといったスターたちが輝いていた。

 ただ、いくら人気球団とはいえ、あまりに実力が不均衡だと、リーグとしての人気面では好ましくない。実際、大リーグの1試合平均観客数は1947年に約1万6000人だったが、1963年は1万2000人あまり、1964年も1万3000人ほどと落ちていた。そこでドラフトを導入したのだった。

 ヤンキースは1965年から11シーズンにわたってワールドシリーズと縁が切れた。ベテランが衰えてチーム力が落ちていたのだが、ドラフトの登場とともに黄金時代を終えるという、象徴的な格好になったのだった。

 ヤンキースがワールドシリーズに戻るのは1976年。翌1977年に15年ぶりで頂点に立った。1976年に生まれたFA(フリーエージェント)制度のお陰で息を吹き返した。

 ドラフト導入で、戦力均衡の他にも経済的負担が軽減するというメリットも球団に生まれた。自由競争最終年の1964年、ウィスコンシン大のリック・ライハルトは契約金20万5000ドル(約2260万円)でエンゼルスと契約した。1965年の第1回ドラフトの全体1位でアスレチックスに指名されたアリゾナ州立大のリック・マンデーの契約金は10万ドル(約1100万円)。ライハルトの半分であった。

1987年の全体1位グリフィーJr.は約1700万円、同年NPBは…

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