「僕は補欠だった」―愛工大名電時代にサイド転向、西武十亀の「必要な3年間」
当時のエースは同じタイプの投手、監督から打診されたのは…
その中で1つの転機となったのが、サイドスローへの転向だった。「当時、エースが右投げでストレートの最速が145キロ。僕も同じようなタイプだった。ただ、僕はコントロールが悪くて、それでは大会での起用は難しい」。当時の監督から「同学年に同じタイプの投手が2人いても…」とサイドスローへの転向を打診された。
「当時すごく葛藤がありましたけど、エースの子と比較した時、試合に出るためにはどうすればいいのかと考えて、道が拓けるかもしれないと思ってチャレンジしました。あの時、『いやだな』と蓋をしてしまわず、新たな可能性に光を見出して、そこへ歩を進めたから今の僕がある。サイド転向の助言は、今となっては本当にありがたかったです」
今年は100回記念大会ということで、史上最多となる56校が憧れの甲子園球場の土を踏みしめる。しかし、レギュラーとして試合に出場できる選手もいれば、ベンチから声援を送り、最後の夏を迎える選手もいる。その「補欠」だった十亀は言う。
「補欠だったから気付くこともあるし、補欠でもプロになれる選手はいる。僕みたいにエースじゃなくて、背番号も貰えない時期もあって、あまり試合に出られなかった選手でもプロになれた。それはあの高校時代、自分を見つめ直して、何が必要で何ができるかということを考え続けたからだと思っています」
有名な高校に入学し、チーム内外のライバルたちを見ながら、自分自身と向き合い続けた3年間。それは十亀にとって「必要な3年間」だったのだ。
当時の考え方は、今でも生きている。
「プロに入って1軍にも出ていますが、自分は何がダメで勝てなかったのか。他の投手と比べて何が違うのか?僕の特徴って何だ?今、バッターに嫌がられるには何が足りないのか?ということを考えて、プロに入ってからも、自分の長所、短所を見つめ直して、他者とも比較しながら、さらに伸びていこうと野球をしている。高校時代からの繰り返しですね」
母校は11日、大会7日目に三重・白山と対戦する。「自分たちの時は、夏は1回戦で負けてしまった。最近は1回戦突破できていないので、その先へ向けて、頑張ってほしいですね」とエールを送った。
(岩国誠 / Makoto Iwakuni)