西武山川、平成生まれ初の50本塁打なるか 現在42本、残り14試合で8発
平成では延べ6人が達成も日本人打者は松井秀喜だけ
NPBの本拠地球場は、昭和の時代は両翼90m、中堅115mが一般的だった。
公認野球規則2.01「競技場の設定」には、1958年6月1日以降にプロ野球球団が新設する球場は、両翼325フィート(約99.058メートル)、センター400フィート(約121.918メートル)以上なければならないとあるが、この規則は長年守られなかった。球場が大きくなると、本塁打が減ると考える関係者が多かったからだ。
しかし1988年、東京ドームが開場。史上初のドーム球場として注目されたが、この球場は公認野球規則に従って、両翼100m、中堅122m。これまでにない大きな球場だった。
このサイズがスタンダードとなって、以後の新設球場はすべて両翼100m以上となる。また旧来からある球場もホームベースを後ろに下げ、外野フェンスを改修するなど、大型化が進んだ。甲子園では1992年にラッキーゾーンが撤去されている。
関係者の予想通り、球場の大型化で本塁打数は減少。1986年のロッテ、落合博満の50本塁打を最後に、15年間も50発打った選手は出なかった。
2001年に近鉄のローズが55本を打ち、平成時代には延べ6人が50本超えを果たしたが、日本人選手は2002年の松井秀喜だけ。あとはローズ、カブレラ、バレンティンとMLB出身の選手だった。