広島菊池を変えた大学時代 最強二塁手の誕生に大きな影響を与えた4年間
大学日本代表の選考会で受けた衝撃「目が覚めました」
――単にのびのびと練習をしていたわけではない。自分自身にはどのような厳しさを課していたのでしょうか?
「僕自身は大学時代はショートでした。うちの大学は強豪校から来ている選手もいましたが、高校時代は3番手、4番手の選手でした。やっぱり『練習はいいや。今日は帰ろう』とか言い出すメンバーもいました。でも、その中でも今日はこの練習をやりたい、ここを伸ばしたいと、明確な目標を持っている子はたくさんいました。自分が課題を見つけられる選手は伸びると思います。そういう人たちは目の前でダラダラするわけではなく、成長したと思います。僕自身は1年生の頃は実はダラダラに漬かってました。大学2年生の時に選考合宿(大学日本代表候補合宿)っていうのがあって、そこに呼ばれたんです。選考会に行ったら『レベルが違うぞ』と目が覚めました。そういういいきっかけもありましたね」
――現在では侍ジャパンの正二塁手ですが、第4回世界大学野球選手権大会日本代表の選考会ではどんな衝撃が待っていたのでしょうか。
「ハードル高いなと思いました。当時のジャパンには斎藤佑樹さん(日ハム)がいたし、大石(達也投手、西武)さんとか澤村(拓一投手、巨人)さん、野村(祐輔投手、広島)もいましたし、伊藤隼太(外野手、阪神)もいたと思います。オリックスの安達(了一内野手、オリックス)さんもいました。彼らを見ていたら挫折というか、『こんなんじゃだめだ』と気付かされるポイントには確かになりましたね」
――菊池選手はその2年後の大学4年時に第5回世界大学野球選手権大会日本代表のメンバー選考合宿に召集されました。そこではまた違う感覚はあったのでしょうか。
「大学4年生の時に選考会に呼ばれた時、『あ、自分は追いついている』と実感した記憶があります。まだまだバッティングでは荒削りな部分はあったと思います。東都の一流ピッチャーを打っていたわけではないので、『打てなくても仕方ないかな』と割り切っていたんですけども。守備ってなった時は、すごく自信を持って合宿に行っていましたね。合宿では選ばれなかったですが、周囲との差が縮まっていたことを確認できたのは嬉しかったです。自分のやっていることは間違いじゃないと。すごく自信になりましたね」
(Full-Count編集部)