智弁和歌山・高嶋前監督が大切にしてきた“補欠”の存在 「いたから勝てた」
智弁学園の名誉監督として奈良の本校、和歌山校を影から支える
97年には新監督でもある中谷仁主将が中心となり夏の甲子園初優勝を遂げた。以降、00年の夏にはいまだに破られていない1大会100安打11本塁打の大会記録の強力打線で全国優勝するなど平成の甲子園に数えきれないほどの数字を刻み込んでいる。
1学年の人数はわずか、控え部員が少なかったとはいえ、名将がずっと大事にしてきたのはその控え部員たちだった。
「補欠(の選手)がいるから練習ができる。補欠がいたから勝てたと思います。レギュラーでバリバリ試合に出ていた選手は卒業しても進路はどうにかなるけれど、補欠の子はそうもいかないので、卒業してどうなっとるのか気にしとるんです」
そうやって積み重ねてきた48年の歳月。高嶋前監督は高校野球を「人生そのもの」と語った。唯一、やり残したことと言えば「大阪桐蔭に勝てなかったこと。監督を辞めてすぐ、中谷(仁)監督が近畿大会で大阪桐蔭に勝ってくれたことは嬉しかったですわ」と振り返った。
これからは智弁学園の名誉監督として奈良にある本校と和歌山校を影から支えることになるが、来春から解説者として甲子園球場に足を運ぶことが決まっている。指導者としての第一線は退くが、「球場には行くので、寂しいという感じはないですね」とすっきりとした表情を見せた。
(沢井史 / Fumi Sawai)