プロで活躍、大学でフィーバー…12球団の現役監督が「新成人」だったとき
12球団の監督は「新成人」をどんな状況で迎えていた?
今は指揮官として、ペナントレースの采配を振るセ・パ両リーグ12球団の監督たち。彼らもまた、かつては「成人の日」を迎えた若者だった。それでは、各球団の監督は「新成人」となった1年をどう過ごしたのだろうか。
【パ・リーグ】
○西武 辻発彦監督
(1958年10月24日生まれ)
佐賀県立佐賀東高校時代は2年生後半で身長が急に伸びて打撃力もアップ。シャープな二塁手として注目された。79年は社会人野球の日本通運浦和に入社して3年目。守備、打撃のセンスは光っていた。西武にドラフト2位で指名されたのは4年後の25歳の時だった。
○ソフトバンク 工藤公康監督
(1963年5月5日生まれ)
名古屋電気高校から1981年のドラフト6位で西武に。素材は「ドラフト1位級」と評価され、1年目から1軍で投げる。1984年は3年目。わずか9試合の登板に終わったが、提携する米マイナー、サンノゼ・ビーズで20試合に投げ3勝4敗、防御率1.91の成績を上げ、自信がつき、翌年からローテーションの一角を担うことになる。
○日本ハム 栗山英樹監督
(1961年4月26日生まれ)
国立の東京学芸大学教育学部3年生。1年時から投手として試合に出場。小柄ながらも鋭い切れ味のスライダーを駆使して2年春の東京新大学野球連盟での優勝に貢献した。しかし、右ひじの故障で外野手に転向。当時、東京学芸大からプロ入りした選手はおらず、本人も教員志望だったが、83年ドラフト外でヤクルトに入団した。
○オリックス 西村徳文監督
(1960年1月9日生まれ)
宮崎県立福島高校から国鉄に入社して2年目。鹿児島鉄道管理局野球部でプレーしていた。午前中は、国鉄鹿児島駅で改札の切符切りなど職員として普通に業務に就く。抜群の駿足がスカウトの目に留まり、1981年ドラフト5位でロッテに入団した。
○ロッテ 井口資仁監督
(1974年12月4日生まれ)
国学院久我山高校から青山学院大学に進んで3年目。高校屈指の大型遊撃手であり、レギュラーとしてプレー。当時の青学は最盛期で、1年先輩に坪井智哉、同級生に倉野信次、澤崎俊和、清水将海、1年後輩に高須洋介と、のちにプロで活躍した選手がいたが、井口は4年生時には主将として強豪チームを率い、ドラフト1位(逆指名)でダイエー入団。
○楽天 平石洋介監督
(1980年4月23日生まれ)
PL学園時代は、主将として甲子園で横浜高校の松坂大輔らと好勝負を演じる。同志社大学に進むも、高校時代に痛めた左肩を治すため入院。しかし、復帰後は俊足外野手として活躍し、世界大学野球選手権にも出場。卒業後、トヨタ自動車を経て2004年ドラフト7巡目で新球団楽天の第一期選手になる。