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最終年で殿堂入り 球史に残るDH、イチロー同僚としても馴染み深いマルティネス

2019年の米野球殿堂入り投票で、363票(得票率85.4%)を得て、選考最終年の10年目で選出されたエドガー・マルティネスは、1963年1月、ニューヨークに生まれた。もともとはプエルトリコ出身で、いとこにはプエルトリコ生まれでMLBで108本塁打したカルメロ・マルティネスがいる。

マリナーズの主軸として活躍したエドガー・マルティネス【写真:Getty Images】
マリナーズの主軸として活躍したエドガー・マルティネス【写真:Getty Images】

選考最終年の10年目で選出、2004年には「最優秀指名打者賞」が「エドガー・マルティネス賞」に

 2019年の米野球殿堂入り投票で、363票(得票率85.4%)を得て、選考最終年の10年目で選出されたエドガー・マルティネスは、1963年1月、ニューヨークに生まれた。もともとはプエルトリコ出身で、いとこにはプエルトリコ生まれでMLBで108本塁打したカルメロ・マルティネスがいる。

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 1982年にマリナーズと契約。三塁手だった。打つ方は高打率を記録したが、三塁守備はAクラス時代の1984年に118試合で25失策するなど得意ではなかった。1987年にMLBに昇格したが、3年間は控え選手。1990年に規定打席に達して.302をマークしたが、三塁の守備率は.928という低率だった。

 しかしシュアな打撃は進境を見せ、1992年には.342で首位打者を獲得する。マリナーズ史上最初の首位打者だった。この年は46本で最多二塁打も。ライナー性の打球を飛ばすシャープな中距離打者として売り出した。

 しかし翌1993年に左足を故障し、戦線離脱をする。以後、DHでの起用が増えるようになる。89年にケン・グリフィー・ジュニア、94年にアレックス・ロドリゲスと、のちにスーパースターになる打者がデビューする中、エドガー・マルティネスは堅実な打撃で若い強打者たちたちと中軸を組んだ。

 1995年には.356で2度目の首位打者。この時期のMLBは前年から選手会が長期のストライキを行い、大揺れに揺れていたが、エドガーは145試合で最多試合出場、121得点で最多得点も記録している。

 ケン・グリフィー・ジュニア、アレックス・ロドリゲスが大型契約を結んで他球団に移籍しても、マルティネスはマリナーズの中心打者であり続けた。2000年には145打点で打点王を獲得している。

 2001年にイチローが入団すると、38歳のエドガーも.308をマーク。打点も116打点。チームはエドガーの打点数と同じ116勝を挙げて地区優勝を果たした。この年は、イチローがMVPを獲得したが、エドガーもシルバー・スラッガー賞に輝いた。イチローとのコンビは2004年まで続き、エドガー・マルティネスは41歳で引退した。

 通算成績は2055試合7213打数2247安打309本塁打1261打点、通算打率は.312。これは現時点でのイチローの通算打率.311を上回っている。DHでの出場試合数は1403試合に及んだ。

 DHとしての活躍から、引退した2004年には「最優秀指名打者賞」を「エドガー・マルティネス賞」とすることが決めれた。MLBの球史でも、ポール・モリターや、ハロルド・ベインズと並ぶ強打の指名打者だった。

 21世紀に入り、MLBの選手の評価にセイバーメトリクス系の数字が用いられるようになると、打者は守備や走塁の能力も加味して評価されるようになる。守備記録が少ないエドガー・マルティネスはなかなか評価が上がらず、殿堂入りまでに10年もかかってしまった。

 しかしエドガー・マルティネスは、メジャーに挑戦したばかりのイチローのチームメートであり、日本人ファンにとっても懐かしい選手だ。彼が評価されたことを喜んでいる日本のファンも多いことだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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