監督自らファンサービスも リゾートの空気流れるDeNAの美しいキャンプ地
1987年から宜野湾で春季キャンプ、ラミレス監督はファンに気さくにサインも
横浜DeNAベイスターズは、1950年、大洋ホエールズとして創設された。初期の本拠地は捕鯨の拠点、山口県下関市だった。
1953年に松竹ロビンスと合併し、大洋松竹ロビンスに。1955年にふたたび大洋ホエールズとなる。この時期の春季キャンプは長崎市営球場、鹿児島市鴨池球場、岡山県野球場などで行われた。
1960年から兵庫県明石公園野球場で行われたが、この年、巨人を戦力外になった馬場正平(のちのジャイアント馬場)が、三原脩監督の誘いでキャンプに参加することとなった。しかし宿舎の風呂場で足を滑らせた馬場は大けがを負って野球を断念。プロレスラーへの道を歩むこととなった。1962年に多摩川河川敷に大洋グラウンドができると、ここでも行われた。1963年からは静岡県草薙球場が使われた。1977年に横浜スタジアムに本拠を移して横浜大洋ホエールズになる。
1987年に沖縄県宜野湾市に宜野湾市立野球場(現アトムホームスタジアム宜野湾)が完成すると、この年からこの地で1軍の春季キャンプを行うようになる。この球場は沖縄コンベンションセンターに隣接し、サブグラウンドや屋内練習場なども完備された充実した施設だ。ちなみに昨年9月には、沖縄コンベンションセンターで安室奈美恵が出演した最後のライブが行われた。
また、同じ1987年から2軍は同じ沖縄県の嘉手納町営野球場で春季キャンプを行っている。宜野湾と嘉手納は車で30分余り。嘉手納町営野球場は、米軍基地に囲まれた立地にあり、上空を戦闘機が爆音を立てて飛び交っている。沖縄の現実を実感させられる場所でもある。
アトムホームスタジアム宜野湾は、東シナ海に面した美しい球場だ。球場の背後には、コバルトブルーの海が広がっている。リゾート地にいることを実感する。キャンプ地内にはベイスターズの公式グッズや、キャンプオリジナルグッズを販売するブースも設けられている。サブグラウンドでは投手陣が投内連携の守備練習をする様子を見ることができる。また、ブルペンも横手から見学が可能だ。
DeNAが親会社になって、昼休みになると中畑清監督が、メイングラウンドの観客席で、ファンとハイタッチをする姿が見られるようになった。この伝統は、後任のアレックス・ラミレス監督にも受け継がれたようで、春季キャンプを訪れた幼稚園児たちと記念写真に納まったり、気さくにサインをしたりしている。
監督自らファンサービスに努めるオープンな空気が、DeNA春季キャンプの大きな魅力だといえるだろう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)