ユマではヒルトン加入→初優勝、現在は1軍浦添で…ヤクルトの春季キャンプ

ヤクルト・小川淳司監督【写真:荒川祐史】
ヤクルト・小川淳司監督【写真:荒川祐史】

1978年からユマでキャンプ、2軍は1991年から西都で

 東京ヤクルトスワローズは、1950年、2リーグ分立時に国鉄スワローズとして創立され、セ・リーグに加盟した。

 国鉄は永らく弱小球団と言われたが、設立当初は屈指の社会人チームだった全国の国鉄鉄道管理局の選り抜きの選手が入団し、大いに期待された。また、移動の際には全国の国鉄が無料で利用できたので、そのメリットも大きいと言われた。

 設立の1950年、国鉄ナインは福岡県門司市営球場に集結し、春季キャンプを張った。翌1951年は、大阪市の日本生命野球場だったが、このキャンプでは前年8月にデビューした金田正一の姿もあった。金田は高校を中退してプロ入りしたのでまだ17歳だった。

 以後、国鉄スワローズは、名古屋市八事球場、鹿児島市鴨池球場、長崎県島原市営球場、徳島市営球場など、キャンプ地を転々とした。東京駅へ終結したスワローズナインは、夜行列車の後部に連結された球団専用の客車に乗り込んで移動した。運賃は無料。選手たちは専用客車で飲食をするなど、自由にふるまいながら移動することができた。当時を知る選手の中には「専用客車での移動は楽しかった」という人もいた。

 1965年、金田正一の巨人移籍とともに、国鉄は球団を手放し、サンケイ新聞が親会社となる。この時期のキャンプ地は鹿児島県湯之元球場、1969年からはヤクルトが経営に参画する。

 1978年からヤクルトはアリゾナ州ユマでキャンプを張る。海外キャンプは珍しい時代だったが、渡航に費用はかかるものの、滞在中の費用は国内よりも安かった。当時は、サンディエゴ・パドレスがキャンプを張っており、合同練習することもできた。

 1年目のユマのキャンプにテストを受けに来たのがデーブ・ヒルトン。テストに合格してスワローズの一員となる。この年、スワローズは創設以来初優勝、ヒルトンは優勝の立役者の一人となった。ヤクルトは1999年まで、22年の長きにわたってユマでキャンプを張った。

 1991年からは2軍は宮崎県西都市で春季キャンプを行っている。今年まで29シーズン連続で春季キャンプを実施している。

 2000年からヤクルトの1軍は沖縄県浦添市民球場(ANA BALL PARK浦添)で春季キャンプを行っている。浦添市は県庁所在地那覇市に隣接する近郊都市。アクセスも良い。浦添運動公園には陸上競技場、室内練習場、ブルペンが整備されている。丘の中腹に広がっているが、市街地はその丘の上にあるので、ファンはキャンプ施設を見下ろしながら階段を下りて入場することもできる。

 昨年は、キャンプ直前に青木宣親の復帰が決まり、球団は急遽「23」の青木のレプリカユニフォームを販売。評判を呼んだ。青木は、外野で溌剌とした動きを見せた。またハッスルプレーが出ると「アラボーイ!(attaboy! いいぞ!)」とメジャー仕込みの掛け声をかけていた。この年のヤクルトの好調を予感させる、明るいキャンプになっていた。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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