智弁和歌山、中谷監督インタビュー 母校へ抱く恩返しの思い「何を残して死ねるか」

プロでは思うような活躍ができず「僕はプロ野球選手としてはみんなに恩返しできなかった」

――時代が移り変わって教育、指導というものが難しくなっている

「世間の風潮としてそれは確かに感じます。ただ、必死で伝えようとすれば生徒の態度は変わると思います。ウチの野球部は1学年12人がマックス。逆にこれぐらいの人数だから一人一人と向き合える。部員が100人とかの学校であれば監督とほとんど話もできずに3年間を終える生徒もいるかもしれないですしね」

――現代っ子だなと感じることもある?

「一度、こんなことがありました。僕はプロの世界でプレーしてきたけど、大した成績を残せなかった(通算15年在籍、実働7年で28安打、4本塁打)。だから、お前らがプロに入れたら、俺なんて1年で抜けるぞって言ったんです。そしたら、生徒たちが声揃えて『ハイ』ってね。コラ、必死でやって15年で28本や!!。『ハイ』じゃないよ!! って思わず突っ込みましたよ」

――プロでの経験はやはり指導に生きているのか

「そうですね。阪神、楽天でお世話になった野村監督の真似をするわけではないですが、この場面ではこういうことをすればこうなるんだとか、ベンチでぼやくではないですけど、子供達に聞こえるように話したりはしてますね。練習試合の時だけですけどね」

――捕手の経験を伝えることが主にはなってくるのか

「そういうわけでもないですよ。最後に巨人にいたときの経験が、自分にはいい勉強になりました。せっかくこの場にいるんだからなんでも吸収してやろうと思ってました。今後の指導の引き出しになるわけですしね」

――巨人には球界を代表するお手本も多くいた

「川相さんにはバントの技術を聞きにいきました。1軍にいる時にも、各コーチに積極的に話しかけました。ゴマスリだとかげ口を言う人もいましたが、そんなことは気にしませんでした。勇人(坂本)なんて面白かったですよ。どうやってそんな内角の難しいボールをさばけるのかって聞くと「センスっす」って返ってくるんですよ。そんな個性的なスターの横顔も含めて、僕が関わる子供たちに、いろんな経験を伝えたいですね」

――智弁和歌山の伝統を引き継ぎながら、中谷監督のプロとしての経験を伝えればチーム力も上がる。

「不完全な選手ばかりで波もある。でも、いいところを探してあげたい。プロでもこんないいところを持ってる選手はいないよと、僕の口から言うことで何とか子供達の心に火を着けようとしています。智弁和歌山の看板の重さを感じつつ、その伝統を守ってきた先人たちへの感謝を忘れずやっていきたい。僕はプロ野球選手としてはみんなに恩返しできなかった。だからもう一回、母校に帰って名前を残して死んでいってやろうと思ってます。一度は(プロとして)野球人生は終わった。ここからまた(高校球界の)野球人として何を残して死ねるか。そう思って、子供達と一緒に頑張っていきたいと思っています」

(楊枝秀基 / HideKi Yoji)

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