人生を変えた同級生・原辰徳の言葉とは 東海大甲府・村中監督インタビュー【後編】
30周年を祝うパーティーの挨拶では「いずれは原貢になります」
入学後、同級生は約50人もいた。すでに原辰徳氏は上級生に交じって、練習や紅白戦に参加していた。村中監督もアピールしようと秘策を用意し、紅白戦、練習試合への出場機会を得た。
入部時に指定されたスパイクは自分のサイズよりも少し小さめを買うように指示されていた。しかし、村中監督はわざと1.5センチも大きいスパイクを履いていた。ベースランニングをしている時に原貢監督の目に留まり、呼び出された。当然、怒られそうになったが、こう言った。
「『僕はこれだけ大きくなりたいんです。これだけ足が大きくなれば身長も大きくなると思います!』と言うと、監督が『面白いやつだな』とおっしゃって、名前を聞かれました。『村中です』と言うと『中学の県大会で抑えていた投手だな』と覚えていていただき、試合に投げさせてもらいました」
村中監督の記憶によると、紅白戦ではレギュラー組を相手に抑え、原辰徳氏もカーブで仕留めた。桐蔭学園との練習試合にもリリーフで3イニングを無失点。ここから小さな大エースのサクセスストーリーは始まった。
30周年を祝うパーティーの挨拶では恩師への深い愛と感謝を述べた後、「いずれは原貢になります」と語気を強めた村中監督。近くで聞いていた原辰徳監督も感慨深げな様子だった。村中監督に後日、恩師の名前を出した意図を聞いた。
「貢さんになる、ということは監督のように全国制覇を目標としていくということです。監督には、挨拶に心を込めることの大切さとか、野球を通じての人間教育をしていただきました。選手の可能性を引き出すのが監督です。指導者と選手の心がひとつになった時、チームは強くなる。そう教わりました」
2014年に他界した恩師の存在がなければ、今の自分はない。甲子園に出場するたびに、電話をもらっていたことを最近のように思い出す。2012年夏の4強進出時には、初めて褒められた。
「いい野球をしているな。やっとお前らしい野球をやっとる」
監督として30年という節目を迎えたが、恩師の背中を追う旅路はまだまだ続く。人間教育、周囲への感謝を持ちながら、これからも生徒とともに白球を追いかけていく。
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)