「後ろを振り向くことがなかった」 約30年パ・リーグを見た審判員が語るイチローの世界

パ・リーグで約30年審判員を務めた山崎夏生氏【写真:編集部】
パ・リーグで約30年審判員を務めた山崎夏生氏【写真:編集部】

イチロー氏の初アーチは野茂英雄氏から 多くの名選手を審判員として見てきた山崎夏生氏

 1982年からパ・リーグの審判員を務めた山崎夏生さんは、現在、審判の権威向上を目指して講演や執筆活動を行っている。現役時代は近鉄の野茂英雄、オリックス・イチロー、西武・松坂大輔、日本ハム・ダルビッシュ有、楽天・田中将大…多くの名選手たちと同じグラウンドに立った。1993年6月12日、故郷の新潟・長岡市の悠久山球場で行われた近鉄―オリックス戦は忘れられない試合となっている。イチローが野茂からプロ初本塁打を放った試合。山崎さんは一塁塁審だった。

 ライトスタンドに向かって打球が伸びていく。2年目の19歳、鈴木一朗の記念すべき初本塁打をその目で見ていた。投手は野茂だった。のちに米国で大活躍する2人が対戦したという歴史の証人になった。「当時は野球史をここまで変える2人なるとは思ってもいませんでしたよ」と苦笑いを浮かべる。しかし、イチロー氏のすごさは、翌年のオリックスの宮古島キャンプではっきりとわかった。

 山崎さんはオリックスに付き、ブルペンや紅白戦などでシーズンへ向けた準備をしていた。「オープン戦の初戦では右中間へキレイな打球を放ちましてね、普通は二塁打かと思うような当たりでも、とにかく足が速くてあっという間に三塁打に…と思っていたらなんと一気にホームに帰ってきてしまいました」

 球審をしていて、驚いたことを鮮明に覚えている。

 シーズン中の打席でのイチロー氏は「第1打席に会釈をしていただいた後はもう後ろを振り向くことはありませんしたね。別世界に入るというか、ピッチャーだけをにらみつけて、ニコリともしないんです」

 極端な話だが、ど真ん中付近をボールと言ってもピクリともしないし、ボールともとれるようなギリギリのところをストライクと判定をしても、何一つ表情を変えず、抗議など受けた記憶もない。

「昔、野茂投手がテレビのインタビューで日米のジャッジの違いについて聞かれた時、僕はアメリカの打者と対戦に来ている。審判ではないので(違いは)わからない、と答えていたんです。同じ気持ちなのだろうと思いました」

 自分が反応して打ちに行った球が好球であり、ヒットを打てると思ったものがストライク。打たないと決めた球がストライクと言われても仕方がないと割り切れていたのだろうと回想する。

「だからイチロー選手は見逃し三振が少なかったと思います。これが本当の一流なんだなと感じました」

 キャリアに終止符を打ったイチロー氏と同じグラウンドに立てたことを誇りに思っている。引退会見でイチロー氏は草野球への思いを語っていたが、山崎さんも現役を引退し、今、純粋に野球を審判として楽しんでいる。いつかまたグラウンドで選手と球審の関係で、再会できる日を楽しみにしている。

 
山崎夏生(やまざき・なつお)1955年7月2日、新潟県上越市生まれ。64歳.
新潟・高田高、北海道大学で主に投手として硬式野球部でプレー。1979年に新聞社に入社も野球現場への夢を諦められずプロ野球審判員を目指す。1982年にパ・リーグ審判員に採用され、2010年まで審判員として活躍。その後はNPBの審判技術指導員として後進の育成。2018年に退職。現在はフリーで活動し、講演やアマチュアの審判員として現役復帰し、野球の魅力を伝えている。

【動画】悔んでも悔やみ切れない…パ審判員30年の山﨑氏が明かす涙が止まらなかったジャッジとは?

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY