【あの夏の記憶】「主将よりチームをまとめる必要がある」―15年甲子園Vを支えた主務の“誇り”
「瞬は日本一のマネージャーです。あの時も今も」
高校入学時、門馬敬治監督から「マネージャーという道もあるよ」ときっかけをもらってから、3年間、仕事を全うすると決めた。1学年上の代のマネージャーは勉強との両立が難しく、退部してしまった。だからこそ、加藤は学校の勉強もおろそかにはしなかった。
それに仲間が必死で戦う姿を近くで見ていた。寮の隣部屋だった小笠原は夕飯を済ませた午後9時すぎにランニングに毎日のように出かけていた。ミーティングルームで集合した時だって、ただ話をしているだけなく、ゴムチューブを片手にインナーマッスルを鍛えていた。体のケアも細部まで、時間をかけてやっていた。自分ができる仕事を投げ出すわけにはいかなかった。
そんな仲間と過ごす時間がたまらなく好きだった。プレーヤーではなくても輝ける場所がある。全国優勝を果たし、自分の仕事が誇りに思えた。大学に進んでも、やりたいことは、主務だった。迷わず、チームを支える仕事を選んだ。
「高校の3年間、大学の4年間、自分は主将よりもチームをまとめる必要があると思って、一体感を意識していました。相手の学校のマネージャーを見るのも楽しいんですよ。主務がしっかりしているところは強いチームができあがっているという印象があったりするんです」
返事などの言葉の語尾、立ち振る舞いなど、礼儀や規律を重んじる仕事なだけに、そこにチームカラーが出るという。マネージャーにしかわからない“色”だ。
そんなチームの顔ともいえる役割を、4年間、身を粉にして過ごしてきた。
自分たちも思い出深い夏の甲子園も閉幕に近づく。選手だけなく、高校野球生活にピリオドを打つマネージャー、記録員などに伝えたい。裏方に徹した時間は、プレーヤーと同じかそれ以上に誇りを持てる仕事だということ、を。
高校時代から加藤を知る盟友で当時から遊撃のレギュラー・杉崎成輝が言う。
「(加藤)瞬は日本一のマネージャーです。あの時も今も」
主務も立派な優勝メンバーの一人だ。球児たちの“あの夏の記憶”が、これからの自分自身の人生をきっと強くする。