万年最下位から世界一へ 「ミラクル・メッツ」から50年目 快進撃の再現なるか
万年最下位から急転、ミラクル・メッツの快進撃
そして、いよいよ1969年である。ドジャースの強打者だったギル・ホッジス監督は就任2年目だった。
この年、メジャーリーグには大きな変化があった。ナ・リーグでパドレスとエクスポズ(現ナショナルズ)、ア・リーグではロイヤルズとパイロッツ(現ブルワーズ)が加わり、両リーグとも12球団ずつになった。そこで両リーグとも東西2地区制になった。メッツはカブスとカージナルス、パイレーツ、フィリーズ、エクスポズとともにナ・リーグ東地区所属になった。
メッツの下馬評は当然ながら高いものではなかった。けれども、期待の声もあった。1967年に16勝で新人王に輝き、翌年も16勝した24歳の右腕トム・シーバーや、1968年に19勝した26歳の左腕ジェリー・クーズマンといった、若い投手たちが成長していたからだ。
開幕直後はいまひとつで、4月は9勝11敗と出遅れた。そこから徐々に調子を上げ、53勝39敗の地区2位で前半を終えた。
後半も2位を保つが、首位を快走するカブスとの差は縮まらない。8月13日には3位に転落。カブスとの差は10ゲームあった。
ところが、ここから反撃を始める。8月13日以降、公式戦閉幕までに10連勝と9連勝が1度ずつで6連勝が2度と爆発。140試合目の9月10日に単独首位に立ち、最終的には100勝を挙げ、2位のカブスに8ゲームもの差をつけてナ・リーグ東地区の初代王者になった。
強力投手陣がチームを引っ張った。先発ではシーバーが25勝で最多勝(7敗)。クーズマンが17勝9敗、ゲーリー・ジェントリーが13勝12敗。3人とも投球回数は200を超えた。後の奪三振王であるノーラン・ライアンがメジャー3シーズン目の22歳で、先発も救援も務めて6勝3敗の成績を残した。抑えには右のロン・テイラーと左のタグ・マグローを擁し、それぞれ13セーブと12セーブをマークした。
ポストシーズンでも勢いに乗って突き進んだ。リーグ・チャンピオンシップ・シリーズで、ハンク・アーロンのいたブレーブスを無傷の3連勝で撃破した。
オリオールズとのワールドシリーズでは、第1戦をシーバーで落とすも第2戦から4連勝。第5戦の最後はクーズマンがデービー・ジョンソンを左飛に仕留めた。
このジョンソンは1986年にメッツの監督としてワールドシリーズ制覇を遂げる。奇妙な縁である。
メッツは日本と縁の深い球団でもある。ジョンソンは1975年から2年間、巨人でプレーしたし、ロッテ監督を務めたボビー・バレンタインとオリックス監督を務めたテリー・コリンズがメッツの監督でワールドシリーズに進んでいる。
在籍した日本選手も多い。柏田貴史、吉井理人、野茂英雄、新庄剛志、小宮山悟、松井稼頭央、石井一久、高津臣吾、高橋建、高橋尚成、五十嵐亮太、松坂大輔、青木宣親といった選手がプレーしている。他にマック鈴木(鈴木誠)がマリナーズからトレードされ、試合に出場することなくロイヤルズに移籍している。