燕バレンティンは「ファンでも思い出せない」MLB時代から日本で開花 米メディア特集

レッズ時代のウラディミール・バレンティン【写真:Getty Images】
レッズ時代のウラディミール・バレンティン【写真:Getty Images】

バレンティンのMLB時代は「熱狂的なファンでも思い出せないかもしれない」

 野茂、イチロー、松井、大谷……。多くの日本人選手がメジャーリーグでインパクトを残してきた。一方で、メジャーリーグでは燻っていたが、日本に活躍の場を求め、一躍スターとなった選手も多い。そんな“ジャパニーズドリーム”を掴んだ選手たちを米野球メディア「ハードボールタイムス」が紹介している。

“本塁打王”として紹介されているのはヤクルトのウラディミール・バレンティンだ。2011年にヤクルトに加入すると2年連続で31本塁打と活躍。2013年には130試合でシーズン60本塁打を放ち、王貞治氏が1964年にマークした55本を49年ぶりに更新。セ・リーグMVPを獲得し、一躍、NPBを代表するスター選手へと駆け上がった。その後もオールスターに6度選出されるなど、35歳となった現在でも主砲として君臨し続けている。

 そんなバレンティンだが、メジャーリーグでのキャリアは順風満帆ではなかった。カリブ海の小さな島、キュラソーで生まれ育つと、2000年に16歳でマリナーズと契約。2007年にはメジャー初昇格したが、メジャー3年間で打率.221と結果を残せず、2009年途中にはDFA(事実上の戦力外)も味わった。

 記事では「シアトル・マリナーズやシンシナティ・レッズの熱狂的なファンでも、ウラディミール・バレンティンのメジャーリーグでのキャリアを簡単に思い出せないかもしれない」とほとんどインパクトを残せなかったとしている。一方で、「彼のパワーは感心させられるものだった」と後の活躍の片鱗があったことにも言及。バレンティンがメジャーリーグで最後に放った一発は、推定500フィート(約152メートル)の特大弾だった。

 メジャーリーグでは実績を残せなかったが、WBCではオランダ代表の主砲としても活躍し、キュラソーでは子供たちの憧れの存在となっているバレンティン。今季も10日の阪神戦で31号ソロを放つなど、まだまだ衰え知らずだ。

(Full-Count編集部)

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