西武平井、79試合登板でパ記録更新 58年前の稲尾とは全く異なる記録の内容
1961年の稲尾は78試合登板で投球回は404イニングを記録
西武の平井克典は、9月21日の楽天戦に2番手で登板し、敗戦投手となった。平井は今季79試合目の登板。これは、1961年の西鉄・稲尾和久の78登板を58年ぶりに更新するパ・リーグ記録だった。
とはいっても58年前の稲尾の記録と、今年の平井の記録は、内容が全く異なるものだった。
○パ・リーグのシーズン登板数5傑と投手成績
1 平井克典(西武)2019年 79登板 5勝4敗0セーブ35ホールド 80回2/3
2 稲尾和久(西鉄)1961年 78登板 42勝14敗 404回
3 稲尾和久(西鉄)1959年 75登板 30勝15敗 402回1/3
4 武田久(日本ハム)2006年 75登板 5勝3敗3セーブ40ホールド 81回2/3
5 島原幸雄(西鉄)1956年 74登板 25勝11敗 373回2/3
5 稲尾和久(西鉄)1963年 74登板 28勝16敗 386回
今年の平井はセットアッパーとして35ホールドを記録しているが、投球回数は80回2/3。これまでのパ・リーグ記録を持っていたライオンズの大先輩、稲尾は404回を投げて、NPBタイ記録の42勝を挙げている。稲尾はこの年、30試合に先発したほか、48試合で救援登板している。今の投手数人分の仕事を一人でやっていたわけだ。
1984年に阪神の福間修が稲尾のシーズン登板記録に迫った時に、「記録の神様」と言われたジャーナリストの故・宇佐美徹也氏は、2つの記録を単純比較することに疑問を呈していた(福間は1試合少ない77登板でシーズン終了)。
昭和中期の野球と現在の野球では、投手の起用法が大きく異なっている。シーズン登板数は、単純比較が難しい記録だということができよう。昭和中期の西鉄は、三原脩監督が稲尾など一部の投手を先発、救援でフル回転させて黄金時代を築いてきた。現在のパのシーズン登板数5傑の中にも、稲尾、島原の記録が4つランクインしている。