ロッテ一筋26年の現役生活を終える福浦和也 天才打者の数々の名場面を振り返る(後編)
通算12本のサヨナラ安打は球団史上最多
ロッテ・福浦和也内野手の引退セレモニーが23日に開催される。地元千葉県出身で、千葉県習志野市立習志野高校からマリーンズに入団して以降、1度も移籍を経験することなく野球人生を送ってきたフランチャイズプレーヤーだ。球団史上最多の2234試合に出場(9月22日時点)し、生え抜きとしては球団3人目の通算2000安打も達成。2005年と2010年の日本一にも主力として大きく貢献した、まさしく球団史に残る偉大な選手だ。
今回はその功績を称えて、ロッテ一筋26年の現役生活を送った福浦の名場面の数々を改めて振り返る。後編では2011年以降に生まれた名シーンを紹介する。
○延長11回に球団最多、通算12本目のサヨナラ打(2014年9月9日)
シーズン終盤を迎え、敗戦すれば最下位に転落する可能性もある中で迎えた西武との一戦。試合はこの年西武からFA移籍した涌井秀章投手が8回無失点と古巣相手に好投し、ロッテが1点リードを保ったまま9回に。しかし、守護神の西野勇士投手がルーキーの森友哉捕手に逆転2ランを浴びる。追い詰められた9回裏、今度は今江敏晃内野手が高橋朋己投手から起死回生の同点ソロを放ち、試合は延長戦に突入した。
11回裏、ロッテは増田達至投手から1死一、二塁のチャンスを作る。ここで伊東勤監督は、この時点で球団記録となる11度のサヨナラ打を記録していた福浦を代打に送り込む。球団史上最強の“サヨナラ男”が放った打球は前進守備を敷いていた外野の頭上を越え、試合を決める適時二塁打に。最下位転落危機を救うとともに、サヨナラ打の球団最多記録を更新した。
○5年ぶりの1試合2本塁打(2015年4月9日)
2003年に21本塁打を放ち、通算でも118本塁打を記録するなど、福浦は本塁打が出にくかった球場を本拠地としながら全盛期にはパンチ力も発揮していた。しかし、年齢を重ねるとともに長打力は減少。2012年から2014年までの3年間は本塁打がゼロ。だからこそ、2015年の開幕から間もない時期に見せた試合での一振りは、ファンの印象に強く残るものになった。
この試合でシーズン初となるスタメン出場を果たした福浦は2回にオリックスの先発・東明大貴投手から2011年5月8日以来となる本塁打を放つ。「ホームランは4年ぶりかぁ~。忘れかけていた感触。次はセンター前を狙っていきますよ」と談話を残したが、2点ビハインドで迎えた7回にも力強く引っ張り、ライトポールを直撃する同点2ランを放った。1試合2本塁打は実に5年ぶりだった。
2本目の談話では「完璧? 少し詰まっているんですけど、詰まった分切れなかったのかな。今季初スタメンでこの結果はヤバイです。怖いですね。次はセンター前を狙っていきますよ」と、基本となるセンター返しの意識を繰り返し語った。結果的にこの年の本塁打は2本のみだったが、シーズン打率.272、47安打と随所でベテランらしい活躍を見せた。通算安打も1912とし、いよいよ2000安打がはっきりと視界に入っきた。
○「七夕の悲劇」から19年後、神戸の地で決勝犠飛(2017年7月7日)
1998年7月7日。当時16連敗と悪夢の大型連敗を続けていたロッテは、グリーンスタジアム神戸(当時)でオリックスと対戦した。福浦の先制犠飛などで3点を奪い、投げては「魂のエース」と呼ばれた黒木知宏投手氏が8回まで1失点の好投。黒木は9回もマウンドに上がり、2死1塁2ストライクと、長く続いた連敗脱出へ、あと1球にこぎ着けた。
しかし、黒木が投じた直球はオリックスの助っ人、ハービー・プリアム外野手に捉えられ、同点2ランに。連敗脱出目前で追いつかれた黒木はマウンドにうずくまり、立ち上がることができなかった。その後、ロッテは延長12回にサヨナラ満塁弾を喫し、連敗はさらに伸びた。プロ野球史上最長の18連敗を喫した期間を象徴する「七夕の悲劇」と呼ばれるこの日の敗戦は、当時を知るロッテファンの胸に今も深く刻まれている。
それから19年。2017年の七夕に、当時の舞台だったほっともっとフィールド神戸でロッテとオリックスの試合が開催された。同点で迎えた9回表、19年前の試合でも犠飛を記録していた福浦が、平野佳寿投手から値千金の決勝犠飛を放った。最終スコアは3対1。奇しくも、19年前の試合で黒木が9回裏を無得点で抑えていればそうなっていたはずのスコアと同じものだった。19年前の敗戦を知るチーム唯一の選手だった福浦選手の一打によって、マリーンズが長い時を経て“リベンジ”を果たした。