ロベルト・クレメンテの夫人が死去 伝説のメジャーリーガーの意志を引き継ぐ

パイレーツで活躍したロベルト・クレメンテの夫人ヴェラさんが死去【写真:Getty Images】
パイレーツで活躍したロベルト・クレメンテの夫人ヴェラさんが死去【写真:Getty Images】

ヴェラ・クレメンテさんが18日に78歳で死去、その人生とは…

 ピッツバーグ・パイレーツ史上最高の外野手で、災害支援のボランティア活動中に命を落としたロベルト・クレメンテ氏の夫人、ヴェラ・クレメンテさんが11月18日、プエルトリコの病院で死去した。78歳だった。

 ヴェラ・クレメンテさんは、夫のロベルト・クレメンテ氏と同じプエルトリコの出身(以下敬称略)。1963年にヴェラはプエルトリコのドラッグストアで将来の夫と出会い、1964年11月14日に結婚した。夫のロベルトは30歳、妻のヴェラは23歳だった。

 ロベルトはすでにパイレーツのスター選手だった。1971年にはワールドシリーズMVPを獲得。オールスターにも15回選出された。

 1972年、ロベルトは通算3000本を記録。この年の12月23日、ニカラグアの首都マナグアに巨大地震が発生。町の90%が崩壊し、1万9120人が亡くなった。このニュースを郷里のプエルトリコで聞いたロベルトは、救援物資を届けようと飛行機をチャーターし、12月31日にプエルトリコを飛び立った。しかし飛行機はエンジントラブルのためカリブ海に墜落。救助隊が現地を捜索したがロベルト・クレメンテの遺体は発見されず。大選手は38歳で不慮の死を遂げた。

 ロベルト・クレメンテは翌年、MLBの特別措置によって野球殿堂入りする。プエルトリコ出身選手としては初の殿堂入りだった。また、社会貢献活動を行ったメジャーリーガーに与える「コミッショナー賞」は当時のボーイ・キューン・コミッショナーの指示で「ロベルト・クレメンテ賞」と名称を改めた。

 夫を失ったヴェラは、ロベルト・ジュニア(元マイナーリーガー)、ルイス、エンリケ、という3人の子供を育て上げるとともに、夫の遺志を継いで故郷のプエルトリコにスポーツ選手を育成する施設「“Sports City” ― Ciudad Deportiva Roberto Clemente」を設立。この施設からはアロマー兄弟やイバン・ロドリゲスなどプエルトリコのスター選手が巣立っている。またロベルト・クレメンテ財団の代表も務めた。

 さらに「ロベルト・クレメンテ賞」の選考委員として、選手の選考にも参画。毎年の授与式では、自らの手で選手にクレメンテ賞を授与した。「ロベルト・クレメンテ賞」は「MVP」と並ぶ栄誉ある賞となっている。

 MLBのロブ・マンフレッドコミッショナーは「メジャーリーグベースボールの私たち全員が、伝説の殿堂入りロベルト・クレメンテの妻であるヴェラ・クレメンテの死去を悲しんでいる」というメッセージを発表した。

 メジャーリーガーの多くは、成功して大金を手にすると、進んで資産の一部を社会貢献活動に投じる。こうした高潔な行為がMLBの品位を保っている。そのルーツをたどればロベルト・クレメンテに行き着く。妻のヴェラは亡くなっても、その偉大な遺志は引き継がれていくだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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