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NPB通算474発 野球殿堂入りした田淵幸一氏が現役生活の危機に直面した2度の死球

公益財団法人野球殿堂博物館は14日に「令和2年野球殿堂入り通知式」を開催し、新たに田淵幸一氏、故前田祐吉氏、故石井連蔵氏が殿堂入りした。田淵氏は法大で当時東京六大学最多の22本塁打をマーク。NPBでも通算474本塁打を放ち、希代のホームランアーティストとして人気を集めた。一方で、現役時代に死球により大怪我したことも。今回は田淵氏の2度の死球禍を振り返る。(文中敬称略)

エキスパート表彰で野球殿堂入りした田淵幸一氏【写真:細野能功】
エキスパート表彰で野球殿堂入りした田淵幸一氏【写真:細野能功】

田淵氏は法大時代に通算22本塁打、NPB通算474本塁打を放った

 公益財団法人野球殿堂博物館は14日に「令和2年野球殿堂入り通知式」を開催し、新たに田淵幸一氏、故前田祐吉氏、故石井連蔵氏が殿堂入りした。田淵氏は法大で当時東京六大学最多の22本塁打をマーク。NPBでも通算474本塁打を放ち、希代のホームランアーティストとして人気を集めた。一方で、現役時代に死球により大怪我したことも。今回は田淵氏の2度の死球禍を振り返る。(文中敬称略)

 1968年ドラフト会議で阪神に1位指名された田淵幸一捕手の入団は華々しい話題となった。本人は大の巨人ファンだっただけに、阪神からのドラフト1位指名は不本意だったようだが、阪神球団、そしてタイガースファンは大歓声を上げた。

 田淵が入団した1969年は大ヒットしたテレビアニメ「巨人の星」が2年目に差し掛かっていた。主人公の星飛雄馬が巨人に入団。ライバルだった花形満は阪神に入団した年だ。「花形モータース」の御曹司で屈指のスラッガーだった花形と、東京の裕福な家庭から阪神入りした田淵はイメージが重なっていた。

 田淵幸一は186センチ長身。捕手ながら細身で「キリン」というあだ名があった。動きは俊敏で、座ったまま二塁へ糸を引くような送球ができる強肩の持ち主でもあった。また捕手に似つかわしくない俊足の持ち主だった。

 1969年当時、阪神にはダンプと言われた辻恭彦、ひげ辻こと辻佳紀、甲子園の優勝捕手だった和田徹と3人の捕手がいた。田淵は開幕3戦目にはスタメンマスクをかぶり、この年は117試合22本塁打56打点、打率は.226ながら新人王を獲得した。

 翌1970年は開幕戦からマスクをかぶり、江夏豊を好リード。見事開幕戦の完封勝利に導いている。プロの水に慣れて打棒はますます好調。8月9日には21号を放ち、この時点で巨人の王貞治を2本差で追撃していた。

 しかし8月26日の広島戦(甲子園)、3回裏に田淵は外木場義郎の投球を左こめかみあたりに受けて昏倒する。耳から大量の出血。球場詰めの医師の判断で、田淵は救急車で西宮市内の病院に搬送された。

 病院でのレントゲン検査の結果、左側頭部打撲症と左側鼓膜一部破傷と診断された。ただ当たり所が頭部だったために2~3日の絶対安静、最低でも1週間の入院が必要と発表された。

 プレーイングマネージャーだった村山実は「(その直前に)遠井(吾郎)が、満塁本塁打を打ったのまでは覚えているが、あとは気が動転してどうなったか全然覚えていない。他の選手が精神的なショックを受けなければいいが」と語った。死球を与えた外木場は「シュートを内角低めに投げたつもりがあんなところにいってしまった。悪いことをした」と語った。

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