新たな視点の「野球部補欠会議」 “奇跡のバックホーム”矢野氏「続けた甲斐あった」

1月26日に「補欠のミカタ ~野球部補欠会議2020~」が開催された【写真:佐藤直子】
1月26日に「補欠のミカタ ~野球部補欠会議2020~」が開催された【写真:佐藤直子】

“奇跡のバックホーム”松山商OB矢野氏らが参加、現役球児も熱心に傾聴

 令和最初の春の甲子園王者を決める「第92回選抜高校野球大会」が3月19日に開幕する。出場が決まった32校では、メンバー入りをかけて熾烈な争いが繰り広げられていることだろう。

 高校野球では地方大会では20人、甲子園では18人がベンチ入りできるが、強豪ともなれば部員が総勢100人を超える大所帯も稀ではない。中には、3年間一度もベンチ入りを果たすことなく補欠のまま卒業する人もいる。言ってみれば、高校球児の大半は「補欠」というわけだ。

 グラウンド整備、ボール磨き、スタンドからの応援……。レギュラーになれなかった悔しさを抱えながらも、チームのために縁の下の力持ち役も厭わない補欠にスポットライトを当てたイベントが1月26日、東京都内の日本工学院八王子専門学校で開催された。その名もズバリ、「補欠のミカタ ~野球部補欠会議2020~」だ。

 高校時代を通じて不遇な時期を経験し、逆境を乗り越えた者だけが共有できる思い出や“あるある話”も多いはず。第1部のトークショーでは、高校時代は補欠ながらもプロ野球選手になった元DeNAの小林公太氏、元オリックスの戸田亮氏、そして1996年夏の甲子園・決勝で「奇跡のバックホーム」で熊本工を下した松山商OBの矢野勝嗣氏が登場。横浜隼人、実践学園の野球部員をはじめ、約200人の観客を前にそれぞれの「補欠」体験を、笑いも交えながら振り返った。

元オリックスの戸田亮氏【写真:佐藤直子】
元オリックスの戸田亮氏【写真:佐藤直子】

元オリックス戸田氏「小中高とずっと補欠だったけど、補欠で良かったと思います」

 小学生から高校生まで補欠の道を歩みながら、横浜(現DeNA)の入団テストに合格してプロ入りし、さらには渡米してインディアンス参加マイナーでも投げた元右腕・小林氏。補欠野手から大学で投手に転向し、当初は時速123キロだった直球が、JR東日本では147キロ、オリックスでは153キロに達するまでになった戸田氏。高校時代、自身のミスが原因で練習が終わらず、来る日も来る日も連帯責任を取らされた同級生に「頼むから野球をやめてくれ」と言われた経験を持つ矢野氏。それぞれ苦しく辛い思い出もあるが、この日、高校時代を振り返る顔には笑みが浮かぶ。なぜか。その答えは、現役の補欠部員に向けたメッセージの中に隠されている。

「補欠の経験があるからこそ、野球を辞めて社会に出て、人の上に立つことになった時、上手にできない人たちの気持ちが良く分かる。どうやったら分かりやすくなるのか、彼らの気持ちに寄り添うことができていると思います。いつどこで芽が出るか分からない」(小林氏)

「野球を好きだったら、とことん続けてほしい。僕は今でも野球が大好き。野球があったから今がある。小中高とずっと補欠だったけど、補欠で良かったと思います。スター選手には分からないことを理解できる自負がある。逆に、レギュラーには補欠の気持ちも考えながらプレーしてもらえたら、もっと上手くなるのではないかと思う。将来、野球選手にならなくても、夢があったらずっと追いかけてほしいです」(戸田氏)

「僕の経験(奇跡のバックホームからの勝利)は時間にしたら10分足らず。そのためにしんどい練習をして、同級生にやめてくれと言われながらも野球を続けた甲斐があった。反骨心で続けた部分もある。頑張っている姿を誰も見ていないと思うかもしれないけれど、誰かが必ず見ています。一生懸命、コツコツ頑張れば花開く。補欠だから勉強できたことを生かしていきたいし、伝えていきたいと思います」(矢野氏)

 レギュラーとして日の目は見なかったかもしれない。だが、補欠だからこそ味わった痛み、苦しみ、達成感、喜びなどがあったからこそ、一人の人間として経験値が上がった自負がある。その思いがそれぞれの笑顔に繋がっているのだろう。

帝京三・稲元監督、山梨学院・吉田監督、一般社団法人応援プロジェクトの塩見直樹氏(左から)【写真:佐藤直子】
帝京三・稲元監督、山梨学院・吉田監督、一般社団法人応援プロジェクトの塩見直樹氏(左から)【写真:佐藤直子】

「LAST GAME」を行った山梨学院・吉田監督「単なる送別試合では終わらない大きな力があった」

 第2部では、高校3年生で迎える最後の夏、ベンチ入りできなかった補欠たちの送別試合「LAST GAME(ラストゲーム)」で対戦した山梨の強豪、山梨学院・吉田洸二監督と帝京三・稲元智監督が登場。この試合では補欠たちが主役となり、レギュラーはスタンドで応援団となる。最後の晴れ舞台で思い切りプレーする補欠たちに、スタンドから自然と湧き上がる大声援。観戦に訪れた家族も合わせ、球場全体が一体となる時間がそこには生まれたという。

 今年、春の甲子園に出場する山梨学院の吉田監督は「東海大相模の元監督・原貢さんは、甲子園に行きたいと強く思う人が多いチームが甲子園に出られる、と話していた。ラストゲームを通じて、部員はもちろん保護者と1つになることができた。単なる送別試合では終わらない大きな力があった」と回顧。また、補欠だった部員が大学進学後に母校のコーチとなり、補欠の指導に当たっていることを、うれしそうに語った。

 帝京三・稲元監督は、東京の強豪校で過ごした自身の高校時代について「帝京はレギュラー以外に無頓着だった」と話す。「そういう中で育ってきたので、監督になってからも全てを淡々と運んできた部分がある」というが、2018年、山梨学院と初めて行ったラストゲームで「チームにもう少し一体感がほしい中で、補欠とレギュラーが繋がった」と実感。一体感が生まれたチームはその年の夏、山梨県大会で10年ぶりの決勝に進出。惜しくも山梨学院に敗れたが、「補欠の力は素晴らしい。補欠に対する見方が変わった出来事」と振り返る。

 客席に座る高校球児は、先輩たちが語る「補欠あるある話」に思わず笑い声をあげると同時に、その言葉に熱心に耳を傾け、ノートにメモを取った。新旧補欠が思いを通わせたイベントを主催したのは、一般社団法人応援プロジェクトの塩見直樹氏だ。高校時代は国学院久我山の野球部だった塩見氏は、野球に魅せられた一人。家族の死や東日本大震災などを機に、後悔しない人生を送ろうと決意。自身の経験も重ねながら、高校時代を補欠で過ごし、そのまま野球をやめてしまう球児に、少しでもいい思い出を作ってもらいたいと「LAST GAME」を計画し、補欠にスポットライトを当てる「補欠のミカタ」を開催した。

「高校卒業後も補欠、レギュラー、すべての高校球児が、その経験を生かせるような取り組み、どんな形でも野球を続けていけるシステムを作れるように努力していきます」

 野球を愛する強い思いは、先輩たちから後輩たちへ脈々と受け継がれていく。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

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