加藤豪将の「心」を覗く 「地獄」からの生還とジータ―氏の金言に厚みを増す
幼少時はクロカンやサッカーにも挑戦「足腰を鍛えるための別メニュー」
2013年にカリフォルニア州サンディエゴのランチョ・バーナード高校からヤンキースに2巡目でドラフト指名され、ヤンキースに入団した加藤豪将内野手。昨季に傘下のマイナー3Aまでステップアップしたが、契約の壁などもあり悲願の大リーグ昇格はならず。咋オフに環境を変えるためFAを決意した加藤は、マーリンズとマイナー契約を結び、春のキャンプに招待選手として参加している。大リーグ機構は12日(日本時間13日)、新型コロナウイルスの感染拡大防止措置として今後のオープン戦中止と26日(同27日)に予定していた公式戦開幕の延期を発表したが、ここまで夢舞台を目指す日々を過ごしてきた加藤豪将を「体」、「技」、そして「心」の側面から探る最終回は、夢舞台への「心」の淵源(えんげん)を覗く。
前回コラムで「技術」について語った加藤豪将は、ヤンキース傘下のマイナー7年の生活で、最初の4年を「地獄」になぞらえた。とりわけ4年目の2016年がその二文字を最も象徴している。その年の春、配属先は決まらず、調整不足の選手達が引き続きキャンプを行う「エクステンデッド・スプリングトレーニング」での調整を強いられた。シーズン途中には前年と同じローAに復帰を果たすが、屈辱の日々も、朝を迎えると気持ちは切り替わっていた。その頃、加藤の気持ちを支えたのは13年前のあの日のことだった――。
6歳で野球を始め9歳の時にマリナーズで現会長付特別補佐兼インストラクターに就くイチロー氏が出場する試合を両親と観戦し大きな衝撃を受けた。その時、加藤少年の心に芽生えたのは「たとえメジャーリーガーになれる可能性が1%だったとしても挑戦する」の思いだった。
幼い頭で目標到達へ向け何を実践すべきかを真剣に考えた。浮かんだのは、「他競技に参加し野球に結び付ける」ことだった。加藤が具体的に示す。
「野球と平行してサッカーとクロスカントリーを楽しみました。僕は足腰を鍛えるための別メニューという捉え方をしました。野球の試合が3時間だとすれば、残りの21時間をどう野球に結び付けたらいいかを子供なりにいつも思案していました」
“驚倒すべき実行力”に触れる話だが、少年の自律的な行動力には両親の教育哲学が多大な影響を与えている。加藤は苦笑交じりにこんなエピソードを披露した。
「僕が1、2歳の頃と聞いていますが、砂遊びの際に手にした砂を口に入れてしまったのですが、母は止めることなくじっと見ていたそうです。砂がおいしいものではないと覚えさせるためでした」