支配下となった鷹・尾形が味わった1年目の屈辱 「悔しさ持ち続けた」出来事とは?
育成選手の入団1年目、祝賀パレードに参加できず味わった悔しさ
16日に支配下契約を結び、育成選手から悲願の支配下登録を勝ち取ったソフトバンクの尾形崇斗投手と砂川リチャード内野手。キャンプ、オープン戦と結果を残し、オープン戦終了後のタイミングで、支配下登録の切符を手にした。球団事務所での支配下契約後には記者会見に臨んだ。
2017年の育成ドラフトで入団した尾形と砂川。尾形が1巡目、リチャードが3巡目で入団し、今季が3年目だった。育成選手にとっては3年目が一区切りの年。3年が過ぎると、一度、自動的に自由契約選手となるからだ。その勝負の3年目の開幕を前に2人には朗報が届いた。
育成から這い上がってきた尾形とリチャード。2人にとって、特に尾形にとって、悔しさが募る出来事があった。この時の反骨心を忘れずに努力を重ね、そして成長を遂げてきた。
入団1年目のオフのことだ。このシーズン、ソフトバンクはリーグ優勝、そして日本一となり、ファンフェスティバルの前に福岡市内を渡り歩く日本一祝賀パレードが実施された。だが、このパレードに参加できるのは支配下の選手のみ。育成選手の2人は大型バスに乗ることも許されず、他の育成選手たちと本拠地で待つことしかできなかった。
会見で尾形はこう振り返っている。
「育成で入団してきて悔しい思い、負けないという思いがあった。僕が1年目のときにファンフェスティバルで優勝パレードがあったんですが、育成選手は出られないので2時間くらいドームで待機していたんです。そのときに凄い悔しくて、パレードに出られない悔しさがあった。パレードしている間にウエートトレーニングしていたり、そういう悔しい思いをずっと持ち続けていました。絶対に負けないという思いをこの2年間思いを持ち続けながらやってきた。そういったことはこれからも忘れないで、その時の思いを持ち続けてやっていきたいと思います」
1年目で味わった、育成選手ならではの“屈辱”。思えば、育成選手から這い上がってきた千賀滉大投手や甲斐拓也捕手も育成選手時代には、支配下選手と一線を画され“プロ野球選手”としても扱われなかった。その時の悔しさをバネに人一倍、努力を重ね、そして球界を代表する選手に成長した。
尾形もまた、育成選手として味わった“悔しさ”を胸に、支配下選手へと上り詰めた。ここからがプロ野球選手として、本当のスタート。念願だった支配下契約を勝ち取った2人のこれからに、大いに期待したい。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)