【消えた選抜からの道1】健大高崎はすぐに切り替え 主将「目標が甲子園出場ではなく…」

健大高崎・主将の戸丸秦吾捕手(3年)【写真:荒川祐史】
健大高崎・主将の戸丸秦吾捕手(3年)【写真:荒川祐史】

青柳監督「ウチは大学やプロを目指して入ってくる子ばかり、先に目標がある」

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で史上初の中止となった第92回選抜高校野球大会。出場予定だった32校にはなんとも非情な決定となってしまったが、各校の受け止め方も様々だ。Full-Countでは中止から学校、指導者、選手たちがどのように受け止め、次なる“道”へ進んでいこうとするのか「その後」を取材する。初出場校の無念を思うとやり切れない一方で、驚くほど“ドライ”な強豪校もある。第1回は健大高崎(群馬)。

 昨秋の関東大会を制して神宮大会では準優勝。選抜大会でも優勝候補の一角に挙げられていた健大高崎では、ナインの大半が中止の一報が届いたその日のうちに、夏へと気持ちを切り替えたという。

「チームの中で一番動揺していたのが自分だと思う。コーチから知らせを聞いたときは現実を受け入れられなかった」と話すのは主将の戸丸秦吾捕手(3年)。中止が発表された3月11日は部員の中でただ一人、気丈な態度で記者会見に臨んだが、舞台裏では涙をこらえきれなかった。そんな戸丸が寮に戻ると、待っていたのは意外にもチームメートの明るい顔だったという。

 副主将の戸沢昂平外野手(3年)は「普段チームを仕切ってくれてる戸丸が一番へこんでたので、『しょうがないっしょ』と声を掛けた。ちょっとヘラヘラしながらと言ったらアレですけど、いつも通り接しました。『会見で何言ったんだよ』とか。そのあと食堂のテレビで戸丸の会見が映って、あいつも『全国デビューだ』って言ったりして」と当日のやり取りを明かす。一方、自宅通いのエース・下(しも)慎之介投手(3年)は母親から中止の一報を聞いた。

「中止か無観客と聞いていたので、予想はできていた。ショックといえばショックでしたけど、自分はすぐに、じゃあ夏に頑張ろうって思えました」

 選手たちの切り替えの早さについて、「ウチは大学やプロを目指して入ってくる子ばかり。最後の夏はともかく、先に先に目標があるので、意識やモチベーションの面ではあまり心配はしなかった」と青柳博文監督。練習メニューが細かくマニュアル化してあるチームの特徴も活かし、センバツ中止が決まるや否や矢継ぎ早に選手に目標を与え、考える暇を与えなかったことも功を奏した。下級生ながらメンバー入りした小沢周平内野手(2年)は「高校に入ってから初めての長期休暇。家でダラダラ過ごすのはもったいないので、センバツに行ってるくらいの成長をしようと、普段できない自主練を思う存分やりました」とむしろ現状をポジティブに捉えている。

 個々の目標だけでなく、チームとして共有していた目標の存在も大きい。「神宮大会では日本一まであと一歩で届かなかった。だから、ずっと日本一を合言葉にしてやってきた。目標が甲子園出場ではなく日本一だったから、スムーズに移行できた部分はあると思います」と戸沢。名実ともに全国を狙える位置に来たからこそ、冷静に受け止められた選抜大会中止発表。“機動破壊”に続くスローガン、“スペクタクル・ベースボール”を掲げ、一皮剥けた健大高崎はもう夏を見据える。

(佐藤佑輔 / Yusuke Sato)

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