12球団ドラフト史上最高“当たり年”は? 鷹は井口&松中の96年か柳田&千賀の10年か
96年ドラフトでは柴原洋氏が3位、倉野投手コーチが4位で入団している
毎年、100人近い新人が新たに飛び込んでくるプロ野球の世界。大きな期待を背負ってみな入団してくるものの、プロの世界で活躍できるのは、ほんのひと握りの選手しかいない。
毎年、多くのルーキーが指名されるドラフト。各球団大体5人から10人前後の選手を指名するが、その全員が活躍するわけではない。時には誰も台頭しない年だってある。指名した中から1人活躍すれば、まずまず。2人なら御の字、3人いれば“当たり年”と思わせるくらい、活躍することは難しい。
では、長いドラフトの歴史で12球団で最高の“当たり年”だったのは、どの年なのだろう。12球団それぞれで検証してみよう。ソフトバンクの場合はどうだろう。
南海、ダイエー、ソフトバンクと球団が変遷してきたホークス。何と言っても燦然と輝くのは1996年ではないだろうか。この年の1位は井口資仁(現ロッテ監督)、2位は松中信彦、そして3位が柴原洋。井口と松中は逆指名だったとはいえ、のちに球界を代表する打者に成長する2人が同時に入団したというのは特筆すべき点だろう。
3位の柴原も長くホークスのレギュラー外野手として活躍し、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回に輝いた名手。4位では、現在、工藤公康監督の右腕として投手コーチとなった倉野信次が指名されている。倉野も164試合の登板実績を誇っている。
この1996年と双璧を成すのが2010年だろうか。この年は2位で柳田悠岐が入団。支配下で花開いたのは柳田だけだったが、育成4巡目で千賀滉大、同6巡目で甲斐拓也が入団し、今では球界を代表する投手と捕手に。同5巡目の牧原大成も二塁手のレギュラー候補となっている。
この2年以外にも自由枠で馬原孝浩、2位で城所龍磨、4位で明石健志、7位で三瀬幸司が指名された2003年、希望枠で松田宣浩、4位で本多雄一、6位で柳瀬明宏が入団した2005年、高校生ドラフト1位で福田秀平、大学社会人の希望枠で大隣憲司、3位で高谷裕亮、4位で森福允彦、5位で長谷川勇也を指名した2006年なども“当たり年”と言える年になっている。