12球団ドラフト史上最高“当たり年”は? 中日は投打のレジェンド指名の98年

中日で活躍した岩瀬仁紀氏【写真:荒川祐史】
中日で活躍した岩瀬仁紀氏【写真:荒川祐史】

1位福留、2位岩瀬だけでなく3位の小笠原、4位の英智も活躍

 毎年、100人近い新人が新たに飛び込んでくるプロ野球の世界。大きな期待を背負ってみな入団してくるものの、プロの世界で活躍できるのは、ほんのひと握りの選手しかいない。

 毎年、多くのルーキーが指名されるドラフト。各球団大体5人から10人前後の選手を指名するが、その全員が活躍するわけではない。時には誰も台頭しない年だってあり、1人か2人、活躍すれば成功と言える。ただ、中には3人も4人も台頭する“当たり年”も存在する。

 では、長いドラフトの歴史で12球団それぞれの最高の“当たり年”だったのは、いつだろうか。各球団を検証していってみよう。今回は中日だ。

 巨人、阪神と共に草創期からプロ野球界を支えてきた中日。その中日にとっての“当たり年”と言えば、1998年が真っ先に挙がるのではないだろうか。逆指名制度だったドラフトとは言え、1位で福留孝介、2位で岩瀬仁紀が入団している。

 福留は高校時代の1995年のドラフトで7球団が競合、近鉄が交渉権を獲得したが、入団を拒否し社会人の日本生命へ。ドラフト指名対象となった1998年に希望球団の1つだった中日を逆指名した。その後の活躍は知られた通り。首位打者2回、最高出塁率3回、MVP1回、ベストナイン4回と数多くのタイトルを獲得し、メジャーリーガーにも。現在は阪神に在籍し、現役最年長選手となっている。

 岩瀬は入団1年目から中継ぎで10勝をマークして活躍。セットアッパーから守護神へと役割を変えながら、15年連続で50試合超に登板し、球界ナンバーワンのクローザーとなった。2018年に引退するまで、前人未到の1002試合登板、407セーブを記録するレジェンドとなった。

 この年の3位は先発を中心に191試合に登板した左腕の小笠原孝(現2軍投手コーチ)、4位は守備の名手として2004年にゴールデングラブ賞を獲得した英智(蔵本英智、現1軍外野守備走塁コーチ)だった。球界を代表する福留、岩瀬の2人に加えて、1軍の戦力として貢献した小笠原、英智の2人が加わった1998年は相当の“当たり年”だったと言えるだろう。

 この他にも与田剛(現監督)や井上一樹(現阪神1軍打撃コーチ)が指名された1989年や川上憲伸、井端弘和が指名された1997年も“当たり年”といえる中日。近年は根尾昂や石川昂弥など将来が楽しみな若手が入団しており、これ以上の“当たり年”となることも期待できる。

【一覧】“当たり年”だった中日の1998年ドラフト指名選手 福留や岩瀬ら錚々たる顔ぶれ並ぶ

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