有藤通世、西村徳文…独自選出のロッテベストナイン 選びたかった名選手たち
川崎球場時代を彩ったミスター・オリオンズ・有藤氏、懐かしの外国人はアルトマンやディアズら
開幕延期で「野球ロス」になっているファンの方々に少しでも心の隙間を埋めていただきたく、Full-Count編集部では各球団の“夢のベストナイン”選考をツイッターで実施し、結果を公開している。読者層やフォロワーの年齢層によって、票の集計偏りが出てしまうため、賛否両論があることは受け止めている。ロッテのベストナイン投票もファンを楽しませたいと企画させていただいたが、川崎球場を彩った球団の顔や、タイトルホルダーが“選ばれず”寂しい思いをしてしまったかもしれない。そんなファンの方々と懐かしの記憶を共有したく「選びたかった名選手」を紹介したい。
まずは三塁手。投票では初芝清氏が37%、今江敏晃氏が30%。ミスター・オリオンズこと、有藤通世氏が17%という結果に。ツイッター投票であったことや、ロッテファンでない10~20代の読者層の票も多かったとあり、千葉移転前の名プレーヤーたちの存在はイメージしにくかったかもしれないが、やはり、監督まで務めた有藤氏の名前は欠かせない。
有藤氏はロッテ一筋18年間プレーし、1985年に通算2000安打(合計2057安打)を達成。1972年から4年連続でダイヤモンドグラブ賞(現在のゴールデングラブ賞)を獲得するなど華麗な守備でもファンを魅了した。1974年、巨人のV9を止めた中日との日本シリーズでは打率4割以上の活躍で日本一に貢献した。77年には打率.329で首位打者を獲得。86年に現役引退するまで、通算成績は2063試合、打率.282、348本塁打、1061打点という成績を残した。87年から89年はロッテの監督を務めるなど、球団史には欠かせない名選手だ。
一塁手でノミネートした4名も名高い選手だらけだった。記憶に新しい名球会プレーヤー・福浦和也氏が80%の占有率だったが、伝説の打者、榎本喜八氏も忘れることはできない。まずはプロ野球史上最年少の24歳9か月で通算1000本安打を達成すると、こちらも史上最年少の31歳7か月で2000安打に到達。首位打者を2回獲得した天才打者で「安打製造機」の異名をとった。2016年にはエキスパート表彰で野球殿堂入りを果たしている。他にも山本功児氏、愛甲猛氏と一塁手には強打者たちがいた。
中堅手部門は荻野貴司外野手が投票で選ばれたが、やはり西村徳文氏(現オリックス監督)もロッテ史に残る外野手だ。1982年に入団から、1989年までは主に二塁を守り、ゴールデングラブ賞も獲得。89年途中から中堅手にコンバートされ、90年には首位打者や外野でもゴールデングラブ賞を獲得。内野と外野でゴールデングラブ賞を受賞する快挙となった。86~89年は盗塁王。ロッテやオリックスの監督として、手腕も高いが、現役時代は俊足巧打に上手い守備、魅惑のプレースタイルで多くのファンに愛された。
投票の性質上、どうしても平成時代に活躍した選手が多く選ばれてしまったが、他にも野球殿堂入りの別当薫氏や山内一弘氏をはじめ、毎日、大毎時代までさかのぼれば、キリがないほど伝説のプレーヤーばかり。投手では1970年に25勝の右腕・成田文男氏、1971年に24勝を挙げ、2年連続20勝をマークした木樽正明氏、その成田氏や木樽氏のボールを受け、NPBタイ記録の4打席連続本塁打を放った捕手・醍醐猛夫氏。日本シリーズMVPにもなった小さな大打者・弘田澄男氏ら、往年の名選手が球史に名を刻んだ。
外国人選手もバリバリのメジャーリーガーとしてやってきた外野手、ジョージ・アルトマン氏に、レオン・リー氏、捕手も内野外野も、乱闘もやったマイク・ディアズ氏らはファンの記憶には残っている。これを読み返しながら、川崎球場の記憶もよみがえってきたり……。名選手たちが存在していたことはファンの思い出、青春でもあり、忘れはしないだろう。野球の開幕が遠のいているが、少しでも話題の“ネタ”になってもらえればうれしい。
【夢のベストナイン】
先発 村田兆治
救援 小林雅英
捕手 里崎智也
一塁 福浦和也
二塁 落合博満
三塁 初芝清
遊撃 小坂誠
左翼 レロン・リー
中堅 荻野貴司
右翼 サブロー
DH デスパイネ
監督 バレンタイン
【打順を勝手に組んでみた】
1(中)荻野貴司
2(遊)小坂誠
3(左)レロン・リー
4(二)落合博満
5(指)デスパイネ
6(一)福浦和也
7(三)初芝清
8(捕)里崎智也
9(右)サブロー
(Full-Count編集部)