乱闘に退場、審判は「絶対負けるな」!? 元審判と元エースが語る80年代プロ野球

パ・リーグで29年間審判を務めた山崎夏生氏(左)と日本ハム・西武で活躍した西崎幸広氏の対談が実現【画像:編集部】
パ・リーグで29年間審判を務めた山崎夏生氏(左)と日本ハム・西武で活躍した西崎幸広氏の対談が実現【画像:編集部】

17回の退場宣告をした山崎氏にその“強気”を教え込んだ先輩とは

 パ・リーグで29年間、審判を務めた山崎夏生氏。現役時代には17回もの退場を宣告したが、その全てが正しかったとは思っていないという。日本ハム、西武で“トレンディエース”として人気を博した西崎幸広氏と共に、“荒っぽかった”と言い表す当時のパ・リーグを「Full-Count YouTube」で振り返っている。

 山崎氏が宣告した17回の退場は全て監督か野手に対するもので、そのほとんどが1980~90年代。「今だから言えるけど……17回退場させたけど15回くらい間違えていた」と頭をかく。

 当時、パ・リーグの審判部長だった村田康一氏からは「絶対負けるな!」と審判としての姿勢を叩き込まれた。「ユニホームは戦闘服でね。今の審判はスマートになりましたよ、いったん警告を入れて、いきなり退場させないですし。これ以上だめだよっていうワンクッションを置いていますから」。当時は選手や監督も荒っぽく、乱闘も度々起こっていた時代。だからこそ気持ちで審判が折れるわけにはいかず、「怯むな負けるな下がるな目を逸らすなで退場させないような審判は使わなかった」のだとか。その結果が17回もの退場宣告となったのだろう。

 一方、文句が少ない方だったという西崎氏だが、それでも怒る瞬間はあったといい「ストライクだと思っているのに(審判は)ボールというじゃないですか。そうすると僕も笑いながら、『え? こっち?』なんて言ったりして。心の中では『この野郎』とか思ってますからね」と本音をぶっちゃけ。審判を味方につけるべく露骨に態度に出すことはなかったという。

 また当時は特徴のある審判が多かったと西崎氏。「外広いのにインサイド全くとらないとか。ストライクゾーンが全部外側にずれていってたり。あとは村田(康一)さんとかね……」と実名まで飛び出した。山崎氏に「負けるな」とたたき込んだ村田氏は自身も主張を絶対に曲げない人だったといい、「あそこまでアウトって言ったら絶対アウトって言う人はいなかった」と語るなど、その強気っぷりはいまだに忘れられないようだ。

(Full-Count編集部)

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