「バイオレントではなく、紳士的」 元ヤクルト助っ人が感謝する日本野球での経験
激しいスライディングで「ハリケーン」の異名を取った男が“改心”
1993年に野村克也監督のもと、ヤクルトのリーグ優勝と日本一に貢献したレックス・ハドラー氏。わずか1年で退団となったものの、この1年の来日経験はハドラー氏にとってはかけがえのないものになったよう。自身のYouTubeチャンネルで日本での経験を語っている。
“恐怖の8番打者”としてヤクルトをリーグV、日本一に導いたハドラー氏。当初は守備を評価されながらもシーズン序盤にミスを連発。一方で打撃は日本人投手の攻めにも対応し8番ながら打率.300、得点圏での勝負強い打撃でファンを魅了した。
来日当初、日本とアメリカの野球の違いには戸惑うことも多かったというハドラー氏。その1つがキャンプ期間の長さだという。「日本の2か月のキャンプは長かったです。アメリカでは、1か月でも長いものです。なので(2か月というものがどれだけ長いか)想像してみてください」。とはいえ、そのキャンプ期間の長さが日本野球に適応するために必要な時間でもあった。
「(日本での)野球は大変でした。彼らの野球に慣れることが、です。彼らはたくさんのフォークを投げてきます。オフスピードピッチが多いのです。シュートも投げます。彼らは真っすぐを投げてきませんでした。なぜならアメリカ人は真っすぐに慣れていることを彼らは知っていたからです」
約2か月のキャンプを経て日本野球にアジャストすると、シーズンでは打率.300、14本塁打、64打点を挙げリーグ優勝、日本一に貢献。わずか1年で日本を去ったが、印象に残っているのは日本人選手の紳士的な振舞いだ。
「日本の野球は楽しかったです。(メジャー程)バイオレントではなく、(併殺崩しで)二塁手を転ばせるためのスライディングをすることはありません。紳士的な野球でした。日本人選手は、生まれながらにして自制心を教わっているのです。それこそが、私に必要な事だったのです」と回想。来日前は激しいスライディングを伴う盗塁で「ハリケーン」の異名を取った男が、「私はメジャーリーグ時代にワイルドな性格でした」と自らのプレーを省みる機会を得た。
わずか1年ながら日本での経験に思いを馳せたハドラー氏。「(日本の)人々は素晴らしかったです」と日本野球への感謝の思いを語っていた。
(Full-Count編集部)