野村監督から「野球の話ができる男」と呼ばれた森脇氏 仙台で恒例だった名将との密談
「ずっと視線を感じていた」三塁コーチャーとして野村野球に挑んだホークス時代
他にもホークスのキャンプのキャッチボールや投内連携、サインプレーなどの基本練習の質が高いと球界関係者の間でもっぱらの評判だったことを聞いた野村氏が当時の王監督に尋ねたところ、森脇氏に任せているということも聞いていた。何をどのように伝えて、意識付けさせているのか、名将といえども、気になったという。
森脇氏はダイエー、ソフトバンクのスター選手となっていた小久保、井口、松中、城島ら個性豊かなメンバーたちにもキャンプなどでは容赦ないノックを浴びせ、選手もそれに応えた。しっかりとしたコミュニケーションを図り、「お前たちの姿を常にファンは見ている」と言い聞かせ“ややこしい奴”を束ねていった。
挨拶に行った時、こんな言葉をかけてもらったことも忘れない。
「ホークスの試合前のシートノックは日本一や、お前はノックと三塁ベースコーチで飯が食えるよ」
ベンチ内での議論を行う以外にも試合中、いつも横目で、時には真正面から森脇氏は野村監督を観察していた。逆に三塁ベースコーチとしてグラウンドに立っていると何度も視線を感じた。楽天戦は野村監督との戦いでもあったのだ。王監督からもサインが分かったら自分の判断で取り消すようにと言われていたため、森脇氏も楽天ベンチ、野村監督をよく見ていた。
「野村さんが監督を辞められて何度か会う機会もあって、当時の話を聞くと『お前はサインを見破っているだろう、あのカウントでエンドランを取り消して。俺がコーチに何を話してるのか分かるのか。お前は読唇術をやってるのか』と。そう言ってもらえたのは嬉しかった」
森脇氏の常にチームの3年、5年先を見据えた育成、組織作りのノウハウとその行動力には王監督も絶大の信頼を寄せていた。王監督と共に歩んだプロセスでは生卵をぶつけられた時期もあり、「王監督に最も多く意見した男」と言われ、弱者から強者へ、そして常勝軍団へとチームを作ってきた。
当然、データを使った「ID野球」、弱者が強者に勝つ方法など野村氏の野球観には大きな興味があり、共感を得る部分が多かった。そんな森脇氏の黒子に徹して将を支える姿、そして相手チームの作戦を読み解く指導者としての才能を野村氏も認めていたのではないだろうか。指揮官としてソフトバンクと優勝争いを演じた2014年にも忘れられない出来事があった。(後編に続く)
◇森脇浩司(もりわき・ひろし)
1960年8月6日、兵庫・西脇市出身。現役時代は近鉄、広島、南海でプレー。ダイエー、ソフトバンクでコーチや2軍監督を歴任し、06年には胃がんの手術を受けた王監督の代行を務めた。11年に巨人の2軍内野守備走塁コーチ。12年からオリックスでチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、同年9月に岡田監督の休養に伴い代行監督として指揮し、翌年に監督就任。14年にはソフトバンクと優勝争いを演じVの行方を左右する「10・2」決戦で惜しくも涙を飲んだ。17年に中日の1軍内野守備走塁コーチに就任し18年まで1軍コーチを務めた。球界でも有数の読書家として知られる。現在は福岡六大学野球の福岡工大の特別コーチを務め、心理カウンセラーの資格を取得中。178センチ、78キロ。右投右打。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)