振り子、一本足、こんにゃく、神主… 名選手が残した球史に残る個性豊かな打撃フォーム
近年ではガニマタ打法の種田、振り子打法のイチローなどが有名
○「こんにゃく打法」梨田昌孝
1971年、島根県浜田高からドラフト2位で近鉄に。強肩が売りの捕手として近鉄の守備の要となった。打者としては当初は非力だったが、バットを握るときに力が入り過ぎるという欠点を修正するために、打席で全身から力を抜き、くねくねと体をくねらせる独特の打法を編み出した。初めて披露した時には、球場の観衆がどっと沸いたが、この「こんにゃく打法」にしてから打撃開眼。1980年には15本塁打55打点、打撃.292をマーク。ベストナイン3回を獲得した。
○「忍者打法」市川和正
1980年東海大からドラフト4位で横浜大洋に。控え捕手が長かった。「忍者打法」は打撃フォームではなく、打席での紛らわしい動きのこと。ハーフスイングをしてバットを上に放り投げたり、くるくるまわしたり、ステッキのように地面に突いたりして「振っていない」「バットを止めた」とアピールした。また当たっていないのに痛そうな表情をしたり「ここに当たった」と死球をアピールするなど、審判泣かせで有名だった。打席で、どんな目くらましをするかわからないということで「忍者打法」と言われた。
○「ガニマタ打法」種田仁
上宮高校時代、元木大介とともに甲子園を沸かせた好打者。1989年ドラフト6位で中日へ。二塁手、遊撃手として活躍した。当初はオーソドックスな打撃フォームだったが。30歳を前に打席で股を大きく開いたガニマタの姿勢で腰を落とす「ガニマタ打法」を編み出した。打撃コーチから「左肩が突っ込んで体が開いている」と指摘され、最初から体を開いた姿勢で打席に立てば、これ以上左肩が内に入らない、とこのフォームを考えたという。2001年シーズン中に横浜に移籍してからは内野のユーティリティとして重用された。
○「振り子打法」イチロー
甲子園に出場したものの1992年ドラフト4位でオリックスに入団したイチローは無名の選手だった。しかし打撃センスは抜群で、2軍で頭角を現した。当時のイチローは小さく上げた右足でタイミングをとる「振り子打法」。2軍の河村健一郎コーチとともに開発した打法だ。成績は上がっていたが「1軍では通用しない」と打撃フォームの矯正を指示された。これを拒否したため2軍落ちしたとも言われるが、イチローは「振り子打法」を貫いて1994年には210安打を打ちブレークした。その後、イチローの打法は変化したが、自分が信じた技術を貫き通して活路を見出した好例と言えるだろう。
打撃フォームも、その打法で結果を残してこそ「○○打法」と名前がついて球史に残るといえよう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)