どれだけ分かる? ミスター、ムース、ハンカチ王子…球界を彩った“ニックネーム”の歴史
「8時半の男」宮田征典に「青い稲妻」松本匡史…
・「8時半の男」:宮田征典
1965年、巨人のリリーフ投手として20勝(救援で19勝)をマークし、さらに現在のルールで言えば、22セーブの活躍を見せた。出番がやってくるのが、たいてい午後8時半前後だったことから「8時半の男」と呼ばれた。
・「青い稲妻」:松本匡史
巨人のリードオフマンとして1982、1983年に盗塁王を獲得した松本氏。トレードマークだった青の手袋と、その快足から「青い稲妻」の異名を取った。
・「サンデー兆治」:村田兆治
ロッテのエースだった村田は1983年に靭帯移植手術(トミー・ジョン手術)を受け、長いリハビリ生活の末に復活を果たした。復帰後は日曜ごとに先発し「サンデー兆治」と呼ばれた。当時は「中6日」で先発を回ることは珍しく、現在の先発ローテの先駆けとなった。
・「鉄人」:衣笠祥雄
1987年もルー・ゲーリッグの2130試合を抜く、2215試合連続試合出場記録を樹立して引退した。「アイアンマン」と呼ばれたゲーリッグにちなんで衣笠も「鉄人」と呼ばれた。のちに、1492試合連続フルイニング出場記録を樹立した金本知憲も同じように「鉄人」と呼ばれた。
・「球界の春団治」:川藤幸三
阪神の代打の切り札として人気を博し、ベンチではヤジ将軍としてチームを盛り上げた。1983年に戦力外となったが「給料はいらんから野球させてくれ」と懇願して残留。「芸のためなら女房も泣かす」と言われた落語家の初代桂春団治にあやかり「球界の春団治」と称された。
・「炎のストッパー」:津田恒実
広島のリリーフエースとして、1989年に最多セーブのタイトルを獲得。真っ直ぐ主体のダイナミックな投球から「炎のストッパー」と称された。1993年に32歳の若さで病死した。
・「ブンブン丸」:池山隆寛
通算304本塁打を放ったヤクルト一筋の強打者。豪快なフルスイングが持ち味で「ブンブン丸」と呼ばれた。遊撃手としてベストナインに5度輝く一方で、リーグ最多三振も3回記録している。
・「ゴジラ」:松井秀喜
星稜高校時代から頭抜けた長距離砲として知られ、高校生にして「ゴジラ」の異名をとった。巨人の主砲として332本塁打。MLBに移籍後も「GODZILLA」と呼ばれた。広島の嶋重宣は2004年に首位打者をとってブレークし、松井と同じ背番号「55」だったことから「赤ゴジラ」と呼ばれた。