エースや4番、3冠王まで… 球界を騒がせた大型トレードの歴史

昨季限りで現役引退した大引啓次(左)と阪神・糸井嘉男【写真:荒川祐史】
昨季限りで現役引退した大引啓次(左)と阪神・糸井嘉男【写真:荒川祐史】

大毎の山内、阪神の小山のトレードは「世紀のトレード」と呼ばれた

 1993年オフにFA制度が導入されてからというもの、大物選手は「FA」で移籍することが多くなっている。しかし、プロ野球史を振り返ると、ストーブリーグを沸かせる大物選手による「大型トレード」がたくさんあった。そこで、球史に残る大型トレードとそれにまつわるエピソードを振り返ってみたい。

○1963年オフ
・山内一弘外野手(大毎)・小山正明投手(阪神)
 阪神にはこの時期、村山実、小山と2人のエースがいた。大毎の永田雅一オーナーは、小山が不満を抱えていることを聞きつけて小山の譲渡を阪神側に申し入れた。巨人、中日に対抗するために打線の強化を目論んだ阪神は「榎本喜八か山内との交換なら」と返したという。そこで永田オーナーは山内をトレードに出すことを決めた。

 当時31歳だった山内はこの年までに本塁打王2回、打点王4回、首位打者1回、そしてMVPも1回獲得し“パ・リーグ最強打者”とも呼ばれていた。一方、29歳の小山はそれまでに20勝を4回も記録し、176勝をマーク。こちらもセ・リーグ屈指の先発投手で、超大物同士のトレードは「世紀のトレード」と呼ばれた。山内は移籍1年目のに31本塁打を打って阪神の優勝に貢献。小山もキャリアハイの30勝で最多勝。トレードは大成功だった。

○1972年オフ
・山内新一投手、松原明夫投手(巨人)・富田勝内野手(南海)
 当時、巨人は長嶋茂雄に衰えが見えており、川上哲治監督が三塁の後継者を探していた。そこで白羽の矢が立ったのが、南海の富田だった。1972年オフに山内、松原という投手2人との交換トレードが成立した。

 山内と松原は野村克也監督に抜擢され、ともに一線級の先発投手へと成長した。一方で富田は2年間は長嶋の控えとしてプレー。1975年、長嶋が引退して監督になり、いよいよ正三塁手かと思われたが、新外国人デービー・ジョンソンが加入。富田は後継者になれず、オフに再びトレードに出される。

○1975年オフ
・高橋一三投手、富田勝内野手(巨人)・張本勲外野手(日本ハム)
 同年に球団史上唯一の最下位に沈んだ巨人は、王貞治と中軸を組む強打者の必要性を痛感。その候補として首位打者7回の“安打製造機”張本に白羽の矢を立て、20勝を2度記録していた左腕の高橋と富田との2対1のトレードを行った。張本は巨人でも3割超を3回記録するなど期待通りの活躍。高橋も先発投手として57勝、そして富田も3割を2度記録。ウィンウィンのトレードになった。

○1975年オフ
・江夏豊投手、望月充外野手(阪神)・江本孟紀投手、長谷川勉投手、池内豊投手、島野育夫外野手(南海)
 阪神のエースとして君臨した江夏だったが、1976年1月にいきなりトレードに。江夏-江本という両球団のエース同士を含む2対4の大型トレードはファンにも衝撃を与えた。江夏は野村克也監督の下でリリーフに。以後、広島、日本ハム、西武で「優勝請負人」として活躍し、野村監督は「野村再生工場」と呼ばれるようになった。江本も阪神のエースとなるが、1981年に「ベンチがあほやから」発言で突如引退した。

○1978年オフ
・田淵幸一捕手、古沢憲司投手(阪神)・真弓明信内野手、若菜嘉晴捕手、竹之内雅史外野手、竹田和史投手(西武)
 阪神の4番打者だった田淵は、1978年11月にクラウンライターから生まれ変わったばかりの西武へのトレードを通告される。西武では捕手から一塁に転向し、2年目に43本塁打を放った。阪神に移籍した真弓は1985年のリーグ優勝時のリードオフマンに。若菜も正捕手となった。

“空白の1日”で生まれた江川と小林のトレード

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