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洗礼、思い出のラーメン、川崎球場… 大洋一筋14年の山下大輔が見たホエールズ

横浜DeNAベイスターズの前身にあたる大洋ホエールズ(1950~52、55~92=78年以降は横浜大洋ホエールズと呼称)は、約40年間の歴史で優勝は60年のたった1度。しかし、弱かったけれど独特の存在感を放っていた“鯨軍団”を懐かしむファンは、今も多い。かつて在籍したスター選手たちに“俺たちのホエールズ”について語っていただき、その魅力に迫る。“慶応のプリンス”と呼ばれたスター選手で、73年のドラフト会議で1位指名され鳴り物入りで入団した山下大輔さん(前編)をお送りする。

大洋一筋通算14年の現役生活で、優勝は1度も経験できなかった

 ルーキーイヤーのみ背番号20を付けたが、2年目からは1に変更。大洋の「1」は、唯一優勝し日本一になった60年に新人で日本シリーズMVPに輝いた近藤昭仁さん(後に横浜ベイスターズ監督)が付けていた、栄光の背番号だった。

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 山下さんは遊撃手として76年から8年連続でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を受賞。遊撃手で「8年連続」、「通算8度」はともに、いまでも日本記録だ。76年7月11日から77年4月5日までに、遊撃手連続守備機会無失策205のセ・リーグ記録(当時)を達成。さらに77年8月28日から78年5月6日にかけて、日本記録(当時)の「322」を樹立した。遊撃守備の達人だった。

「守備に関しては、慶大1、2年生の時に、“鬼の榊原”と呼ばれた榊原敏一監督に『試合と同じ集中力で練習しろ』と鍛え上げられましたからね。大洋に入ってからも、同じショートに米田慶三郎さん、サードにボイヤー、セカンドにシピン、ファーストに松原誠さんと守備の名手がそろっていて、間近で見て勉強できたことも大きかったです」

 大洋一筋通算14年の現役生活で、優勝は1度も経験できなかったが、当時を懐かしむオールドファンはいまなお多い。「川崎時代、横浜移転後を通じて、野武士軍団というか、個性派が多かったですね。“闘将”こと江藤慎一さん、“ポパイ”長田幸雄さん、ハンサムで人気があった一方でケガも多かったことから“ガラスのエース”と呼ばれた平松政次さん、“マリオ”ことポンセ、それに“スーパーカートリオ”……異名を持つ選手が多かったですよね」

 特に山下の若手時代には、豪放磊落な先輩が多く、キャンプや遠征先では、大部屋で朝方までマージャンが行われることもしばしば。「煌々と明かりがつき、ジャラジャラと騒がしい中でも、布団をかぶって眠れるようになりました。ある意味でたくましくなれましたね」と笑う。

 次回は、78年に本拠地を横浜に移した後のホエールズについて語っていただく。

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