【私が野球を好きになった日14】「人生が変わった」 路上ライブ音楽家を変えた野球の力

ビーグルクルー・YASSさん(左)と日本ハム・中田翔【写真提供:ビーグルクルー】
ビーグルクルー・YASSさん(左)と日本ハム・中田翔【写真提供:ビーグルクルー】

音楽ソロユニット・ビーグルクルーYASSさん「2人の野球選手が路上ライブでCDを買ってくれて…」

 本来ならば大好きな野球にファンも選手も没頭しているはずだった。しかし、各カテゴリーで開幕の延期や大会の中止が相次ぎ、見られない日々が続く。Full-Countでは選手や文化人、タレントら野球を心から愛し、一日でも早く蔓延する新型コロナウイルス感染の事態の収束を願う方々を取材。野球愛、原点の思い出をファンの皆さんと共感してもらう企画「私が野球を好きになった日」の第14回はビーグルクルー・YASSさん。楽天・涌井秀章投手、日本ハム・中田翔内野手らプロ野球選手に数々の登場曲を手掛けるYASSさんに、野球との出会いや今後の音楽活動への思いなどを大いに語ってもらった。

 プロ野球との“出会い”は1枚のCDだった。2005年2月のビーグルクルー結成後。地元・福岡で路上ライブを行っていたところ、190センチ近くある男性2人組にCDを買ってもらった。ホークスに所属していた川口容資、大田原隆太の2選手だった。

「お2人ともリハビリ組。その2人が2軍施設で僕らの曲をかけてくれたそうなんです。ちょうど、その時にリハビリをしていた斉藤和巳さんが気に入っていただいて、ブログに書いてくれて……。それがきっかけで、球団関係者やテレビ局に広まり、登場曲に使うホークス選手が増えていきました」

 2008年。当時ソフトバンク監督だった王貞治氏(現ソフトバンク会長)が退任する際に、その勇姿を称える「ときめきよ永遠に」を作曲。これが球界関係者へ初めて書き下ろした曲だった。その後、ソフトバンクの中継ぎエースだった森福允彦投手が登場曲として使用。日本ハム・中田翔内野手ら他球団選手へ広がっていった。

「森福允彦投手からビジターでやってくる他球団の選手に広がっていき、携帯にその曲を入れていたのが中田翔選手でした。それがきっかけで知人の紹介で食事に行き、意気投合しました。そこからですね。中田選手の『My HERO』の影響がかなりあって、いろんな選手から依頼されるようになりました」

札幌ドームで受けた忘れられない野球の熱「鳥肌がたちました。この歌を作ってよかった」

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